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カテゴリ:雑談
情報化社会などとよく言うが、まさしく現代はその字の如くである。
従来は新聞雑誌テレビの類のメディアが情報発信の中心だったが、ブログ・SNS等の爆発的普及によって、個人発の情報もすさまじい勢いで流れ出し、より雑多な情報がWEB上には氾濫することとなった。 こちらから欲しい情報を検索するのはもちろんのこと、教えてgooのように、こちらから疑問を投げかけ情報を得るという方法も定着しつつあり、また急上昇ワードのように、人々が今どのような情報を欲しがっているのかを提供するPush型のものも一般的になっている。 検索の仕方さえ心得ていれば、自分の知りたい情報はほとんど何でも手に入れることができ、その分野において無知だったものが、一夜にして、にわか成金のような状態で情報通となることも可能となったわけだ。 かつて情報を手に入れるためには、コミュニケーションが欠かせないスキルであり、例えばその分野に造詣が深い人物から欲しい情報を手に入れようとするには、おべんちゃらを並べたり、その分野において自分がいかに詳しいのかという自慢話に耳を傾けたりと、様々な苦労が伴ったはずだ。 しかし、現在、WEB上にはそのような対価を必要としないお手軽な情報が転がっており、情報の取得とコミュニケーション能力は切っても切り離せない関係ではなくなってしまった。 かくいう私も、自分の欲しい情報は検索によって簡単に手に入れ、すぐに活用している。 なるほど便利な世の中になったものだ。 この便利さは止まることを知らず、恐らく今後は自分の趣向にあった情報を選別して提供するサービスや、より高度な検索方法が普及していくのだろう。 それに慣れ切った状態で育っていくこれからの子供達はどのようになっていくのだろうか。 誰もが一生かけて蓄積していくような情報を少年期より簡単に手に入れ蓄積していく。 持てる情報は莫大でもそれを使いこなすためのノウハウやコミュニケーション能力は決定的に欠如した耳年増な人間が量産されていくのではなかろうか? 情報は今後も非常に大きな武器になるだろうが、皆が持つ情報は平準化され、付加価値のある情報は生まれにくい状況になるのでは? この便利さを十二分に享受しているからこそ、この状態が当たり前になった時、人として大事な何かが欠けてしまうのではないかと不安に思う。 冗長な文章になってしまったが、情報化社会の怖い所は、止まることを知らない進化と、そこから生まれるであろう人類の全く予想不能な退化なのだろう。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
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最終更新日
July 21, 2009 10:36:16 PM
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