僕が昨年の夏に中央アルプス空木平(うつぎだいら)の
無人避難小屋で怪奇体験をしたことは
これを読んで下さっている人は周知だと思う。
約5ヶ月経った昨日、旅の途上さんという方から
下記のようなコメントを戴いた。
「木下寿男氏「山の軍曹カールを駆ける」(山と渓谷社)に
空木避難小屋の怪について詳しく書かれています。
屋根の上を歩く。だんだん音が大きくなる。など同じですね。」
【避難小屋 恐怖の一夜】(1番下にそのコメントがある)
それは読んで確かめねばなるまい。
早速ヤフオクでこの本を¥390で落札した。
数日後には届く予定である。
実は我ながら胡散臭く感じ、その小屋で起こったことは
他にもあったのだがブログに書かなかったことがある。
自分の勘違いだったかも知れないからだ。
それは何かというと・・・。
・寝る前に小屋の横に流れる小川で汲んでおいた
ペットボトルの水が5分の1程度減っていた。
(500mlいっぱいにしておいたが、僕は飲んだ記憶なし。
飲みかけの午後の紅茶がなくなった時の非常用だったのだが
午後の紅茶は朝になっても充分残っていたし)
・脱いだ登山靴の片方が約2m、出入り口側に移動していた。
(これは僕が恐怖のあまり靴下のまま外に飛び出した時に
自分で蹴飛ばしたかも知れない。多分そうだと思うが
蹴飛ばしたという足先の感覚はなかったように思う)
とにかく霊や怪奇現象には懐疑的なので
自分の勘違いだ!と思い込ませて否定していたのだが
出版本にその避難小屋の怪が名指しで出ていることに
何だか複雑な心境なのである。
「ほらみろ、俺の体験したことは本当だったのだ」と
第3者の証言によって正当化されたという気持ちと
「ということは霊はやっぱり存在してしまうのか」と
頑なに否定していたことを認めなければならない、という
人生における、いやもっと言わせてもらえば
確かに精神や感情は存在するが死んだらただの肉片、という
生命体の常識を覆されるのが正当化されるようで怖いのだ。
くしくも今、三島由紀夫の「天人五衰」を読んでいる。
生まれ変わりだの輪廻だのを書いた「暁の寺」の最終編である。