世の中エコばやりです。
最近の世の中の風潮と見ていると、ご都合主義の「エコ」が多く、本物と偽者が混ざり合って、玉石混交と言ってもいい状況です。
なんでも「エコ」の御旗を掲げてしまえば許される、という感じさえします。
そもそもエコというのは、「エコロジー」が語源です。
エコロジーとは「生態学」のこと。
生態学とは、生物と環境との関係を考える学問です。
すべての生物が、環境との関係の中で生きていて、人間もその一員であることは間違いありません。
その環境で、いろんな生き物が、それぞれの役割を果たすことで「生態系」が守られます。
決して独立して存在できるものではなく、いろんな植物、動物が相互に関連しあいながら絶妙なバランスで安定した環境を作っているのが「生態系」。
そこに「新たな要素」が入り込んで、バランスが崩れると、そこにあった植物や動物は新たなバランスを取るために変化します。
そういった変化は大自然の中で常に行なわれているものなので、問題とするようなものではありません。
氷河期などもその例でしょう。
近年問題となっているのは、生態系の中に入り込んでくる「新たな要素」が人間の都合によってもたらされ、結果として人類が住みにくい環境を生み出し始めたという点です。
地球の温暖化も、二酸化炭素の増加という新たな要因に対して地球がバランスを取ろうとしているだけのことだともいえます。
新たなバランスの環境に対して人間が順応できなければ、人類は滅亡し、それに順応した生物が誕生するかもしれません。
それは、私達にとっては大問題であっても、地球にとっては全く問題のないことです。ただ、その影響で、人類以外の種も少なからず影響を受けたり絶滅したりするとすれば、迷惑な話ではあります。
そう考えると、人類は人類の都合のために地球のバランスを変えてしまい、その結果として、自分達が住むために適した環境を失いそうになったために「環境破壊はやめよう」とか「地球を守ろう」とか言って騒いでいる、まことに「エゴ」な話です。
「エコ」なんて言っても、所詮、地球のためではなく、人類自身のために他なりません。「エコ」はすなわち「エゴ」なのです。
であれば、私達人類はもっと謙虚な姿勢で自然と向き合う必要があります。
大自然の壮大な仕組みを少しだけ使わせてもらって、食料を得て、住まいとなる「木」を育ているのですから、環境に負荷をかけない生活をすることを「地球を守る」なんて大袈裟なことを言わずに、「生活を守る」でいいじゃないですか。
日本人なんて、これまでずっと、「自然を守ること」=「生活を守ること」だと信じて生きてきた民族です。
その結果として、これだけの発展を遂げながら、山には森が残っています。
この美しい日本の風景を守ることは、地球のためではなく、私達自身のためなのだということを知ることが大切です。
※写真は、日本の棚田百選に選ばれている、広島県安芸太田町の「井仁の棚田」です。