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テーマ:DVD映画鑑賞(13978)
カテゴリ:映画にこだわって早100年
isbn:B004FLK6B8:detail ■ 妻夫木 聡 (出演), 深津絵里 (出演), 李 相日 (監督) <<久しぶりに、魂がふるえた。泣いた。現代に生きることの業の深さ>> 地獄である。ただ、寂しさを何とかしたくて、人恋しくて 人と交わりたくて、人を求めてした行為が、 生きていることの地獄である。 映画を見て、久しぶりにまわりにかまわず泣いた。 登場する人々は、まぜ、こうまで、業が深いのか。 徹底したリアリティが、心につきささる。 ただ幸せになって金持ちと結婚したかった保険外交員の女性。 地元で理容店を営む両親。 この世を享楽できればいという、世間知らずの坊ちゃま学生。 母親に見捨てられて、母性を求めて、人との交わりを求める 労働者の青年。 青年の祖母、叔父、彼を捨てた母。 彼らは、ただ偶然このとき、この世界に居合わせたばかりに、 運命の中に巻き取られていく。 そのすさまじい熱望を、李監督は、みごとに映像化した。 近年ない、邦画の傑作。必見で、観て絶対損はしない。何を おいても、観なければならない。 何と言っても最後までさ寂しく、闇の表情でみごとに演じた妻夫木は は賞賛に値する。彼の目は常に闇のように深い漆黒である。 深い悲しみと永遠の平凡を背負っていきていくという、シジフォスの神話的な 無限地獄の女性を深津はみごとに演じた。 ラストは胸を締め付けられる。何の関係もなかった男女が、つかの間の 夕日を共有するという、さびしくも孤独が感情を共有する象徴的なシーン。 これは、二人が、現代人が夢に見た理想であり、現代では決して手にすることができない、永遠の幻影にしかすぎない。このラストシーンで、私の感情は頂点を極めた。やるせなく、後味が悪いことこの上ないが、しかし、現代の真実を目の当りにしないで、表面的な享楽、肉欲を求めることのむなしさを示した傑作を観ないで、何が映画か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月21日 12時24分45秒
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