「運命の出会い」
1853年9月30日、ブラームスがシューマン家を訪問しました。
ブラームスの運命はこの日を境に大きく変っていきました。
「彼には何も足したり引いたりする必要がありません。」
--ブラームスのピアノソナタ第1番を聴いたシューマンの感想。--
「生まれながらにして英雄と美と優雅の女神に見守られた若者。」
--シューマンが自ら創刊した評論集“音楽新報”で絶賛しました。--
シューマンの絶賛により、音楽家への扉が大きく開かれました。
そして、妻クララとの出会い。
天才ピアニストと呼ばれたクララ34歳、ブラームス20歳
この日から40年以上、クララを音楽家として心から敬い、女性として深く愛し続けました。
シューマンの支援で初めて自作の楽譜出版が実現しました。
ところから翌年ブラームスのもとに「シューマンがライン川で投身自殺を図った」と知らせが入ります。
命は取り留めたものの、シューマンは療養所に長期入院しました。
ブラームスは恩人を何度も見舞い励ましました。
ブラームスの願いもむなしく
自殺未遂から2年後、シューマンはこの世を去りました。
大勢の子供を抱えたシューマンの妻クララを、ブ蒸す葉献身的に支えました。
「あなたがいらして下さって、夢のようでした。」
-心から あなたのクララ-
運命の出会いから2人の愛情が紡がれていきました。
今日の曲は
「4つのバラード」
第1曲ニ短調、第3曲ロ短調
↑ブラームス弾きといえば、カッチェンを思い浮かべてしまいます。
この難しい曲たちをサラッと弾き、ブラームスの格好の良さ・音色の素敵さを見事に表現しています。
譜面を見たシューマンは
「ブラームスのバラードが好きだ。もう一度彼の演奏が聴けたらと思う」と語っています。
ピアニストの伊藤恵さんは
「哀愁や孤独を若い頃から感じていた人だと思う。希望を持っても、絶望の方が大きくなってしまうという部分がある」と語っていました。
放送では取り上げていませんでしたが
ブラームスはシューマンに聴いて欲しくて何度もシューマンにアプローチしますが
なかなか会うことが出来なかったのですよね。
評論や作曲に忙しいと察し、ヨアヒムに頼んだり、楽譜だけ送付したり・・・
もう会えないかな・・と諦めたころに、シューマンと会うことが出来ました。
このことを知った私は「他の作曲家では駄目だったのだろうか・・」と思ったのだけど
ブラームスにとってシューマンとの出会いは(クララも含め)、運命だったのでしょうね。
ブラームスの片思いの始まりで、クララとはその後もずっとお付き合いをしていきますが
何故結婚には至らなかったのでしょうね・・・。
結婚だけがすべてじゃないから。。ブラームスがそう言っているように思える私です。
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