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カテゴリ:石巻
2011年3月11日 午後2時46分
この時間、私は夫と一緒に上野で買い物をしていた。 1Fの食料品売り場で買い物中、突然の揺れに「あっ地震だ」という程度。 周囲を見渡すとみな普通に買い物をしていて一瞬、ホントに地震かな?と思ったほど。 隣にいた人に「今、地震ですよね?」と言ったとたん ガタガタと大きな揺れに襲われ、近くにあった棚に摑まった。 今までに経験したことのない長く強い揺れ。 周囲がざわめき始め、店員さんたちが口々に「外に避難してください」「○○公園が避難場所になっています」と誘導を始める。 ここで夫の携帯に電話をかけたが繋がらない(同じフロアにいたのに) 夫に連絡を取って一緒に逃げようと思ったのに、どうしようと思う。 その時、私がいた場所から一番近い出口から急に白い煙がモワァ~と入ってきた。 えっ?火事? 早く逃げなきゃ。建物が火事になったの? 外に出ても危ないだろうが・・・そう思いながら避難場所の方へ。 夫とどうやって連絡を取ろうか? 何度かけても繋がらない。 そうだ!! 夫の運転するバイクで来たので、バイクの駐輪場で待っていればきっと会える。 と言うことで駐輪場にいると夫が悠長に歩いてきました。 結局あの白い煙は、ビルのコンクリートが落ちてきて粉々になったのがビルの中に入ってきたもの。 その出入り口にいたら怪我をしただろう。 そう思うととても怖かった。 夫のバイクに乗って帰宅の途へ。 バイクに乗る直前、ラジオを聴いた夫の口から「東北地方が震源だって。宮城も震度が大きいらしいよ」 そう聞いて大変心配になった。 一刻も早く家に帰りたかった。 その時家にいた息子とも連絡が取れなかった。 だんだんと、これはただ事ではないと思うようになった。 帰宅途中、歩道にはビルから避難している人たちで一杯でみんな不安そうな顔をしている。 地下鉄の駅の周辺にもたくさんの人がいる。 えっ?地下鉄が止まっているの? 自宅に着くと、エレベーターが「休止」になっていたので階段をかけあげる。 ドアを開けると花瓶が割れていた。 息子が「すごい揺れだった」と言ってきた そして、「TVをつけたら、宮城県が震源地というから、石巻に電話したけど繋がらなかった」と言う。 観音開きの食器棚からお皿が出て割れている。 浴室の家具がずれている。 TVの場所もずれている。 すぐTVをつけると、ただならぬ状況が伝わってくる。 すぐ、石巻の実家と父の携帯と、妹の携帯に電話をかけるが全く通じない。 TVから津波の映像が流れてくる。 気仙沼や陸前高田、仙台、などの映像が、津波に流される家々の映像が次から次と容赦なく流れてくる。 走っている車の後ろから津波が追うように接近している。 あっ、逃げて・・逃げて・・もっと早く・・もっとスピード出してと言葉に出る。 まだこの時点で、石巻に津波が来ているとは思いもしなかった。 (本当は津波の第一波がもう来ていたのにね) 何度も電話をかけても石巻とは繋がらない。 ここでやっと「そうだ!メール」と思い出し、妹にメールを送る。 メールは送れた。 が、返事が来たのは夜7時で「津波のため屋根の上。おとうさんわかりません」と言う返事だった。 それでもまだ、石巻の映像がどのチャンネルからも流れてこないので、全く想像がつかず、それが返って私を少し落ち着かせていたのかもしれない。 なかなか石巻の情報が分からないので、関東にいる同級生たちに「お互いに情報を交換しましょう」をメールをだした。 ここから私の長い夜が始まった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月24日 16時24分12秒
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