「我欲」か「真実の愛」か?
江原啓之さんの書いた文章に、愛というものについての記述がありました。「我欲」か「愛欲」か「神の愛」(←真実の愛)か?「自分を愛してくれるなら」という段階は、「我欲」なんだそうです。「寂しいときは優しくして欲しいけれど、彼が困ってる時にサポートするなんてとてもできない」というのも同じ。快楽だけの人は「愛欲」愛の段階を見極めるには、色々と障害?を設定してチェックすると良いみたいです。「彼がもしハゲていても愛せるか」「水虫になったら」「デブになったら」「彼の会社が倒産したら」「ケチになったら」「半身不随になったら」「エイズになったら」ただし、どんな状態でも、「自分を愛してくれるなら」という駆け引きの気持ちがある場合は×なにも条件なく、彼の幸せを願う愛、「彼が他の人と結ばれて幸せになるなら、私はそれでいい」と そこまで思えるのが本当の愛だそうです。愛ってむつかしいですねー条件設定で、「浮気して」「借金作って」「暴力振るって」「隠し子作って」「マザコンで」と 条件を入れただけで 私はとてもとても。。。。┐( ̄ヘ ̄)┌ というか条件設定的に”彼の「心」が醜い”というような条件は、始めから問題外なのでしょうか?愛さなくても許されるのでしょうか??(イマイチそこのところが良く分からない)ワタシ的には、暴力を振るって浮気者で借金王な男よりか 障害がある人の方がずうっと愛せる。と思うのですが。。。でもその人が、自分を好いてくれてなかったら、ツライ!ヒジョーにツライですよ。なんといっても「信頼」みたいなものを一番の心のよりどころにしてるわけですから。。子供に対してなら、まだラクにできそうですけどね。愛ってむつかしいですね~~。頂点?まで到達したら、「パンパカパーン♪ ココが到達点だよ!おめでとう!^口^」と教えてもらえるといいんですけどね(笑)愛情レベルで両目の色が変わって、お互いどの段階か分かっちゃうとかね(笑そうしたら、もっとみんな必死で本気で愛を探しますよね~~多分きっと。。。そしたら愛情重視の世の中なんでしょうね。そんな世の中、ちょっと見てみたいです(*^^*)