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平成生まれ@ 長野政雄のおかしさ 1.常に遺書を持参していたこと(いつ死…
高田 和則@ Re:永野信夫について語り合おう(10/06) 信夫さんの生き方真似できない 自分のマ…
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北海@ 私はよく列車で塩狩駅を通ります 塩狩駅構内に長野さんの慰霊碑とお墓が見…
塩狩太郎@ 大作友紀子さん こん@@は! 塩狩太郎です。ソンシアの…
2008.10.06
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1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という人物が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。 (ウィキペディアから抜粋)



すべてはここから始まった・・・・。



「小説 塩狩峠」原点である長野政雄氏について熱く語り合いましょう!!


長野政雄











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小説塩狩峠の感想を語り合おう

永野信夫について語り合おう

ふじ子さんについて語り合う部屋

その他の登場人物について語り合おう

モデルの長野政雄さんについて語り合おう

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その他のイヴェントについて語り合いましょう

塩狩峠に旅行するなら(旅情報など)を語り合いましょう
 


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塩狩峠に心打たれて『塩狩峠、愛と死の記録』について







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Last updated  2008.10.31 23:54:15
コメント(13) | コメントを書く


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長野さんが救った乗客の子孫は今.どこにおられるのでしょうか!   塩狩太郎 さん
旭川の中島さんからの「ソンシアの家」への書き込みを転載しました。

長野さんが救った乗客の子孫は今.どこにおられるのでしょうか!来年の百年の命日に塩狩峠ファンと対面できるとしたら、ワクワクしませんか?全国で探せば1人は見つかると思います!!
85歳の光世さん、長野さんの子孫と対面できたら、どんなに命のめぐりあいの不思議の感動を分かちあえることでしょうか!探す手段で効果的なものがあれば教えてくださいね!!乗客の子孫の情報があれば僕に.ご一報告ください!siokaritoge@docomo.ne.jpまで、お願いいたします! (2008.10.07 13:23:38)

私の長野政雄さんに出会う旅   名寄まんじゅう さん
10月の連休を利用して、念願の塩狩峠及び記念館と旭川にある記念文学館そして近文墓地へ行ってきました。原作のあとがきを読んで長野さんをもっと知りたくなり、中島氏の著書でその実像にふれ私も(信仰というよりも、むしろとてつもない人間愛に)叩きのめされたひとりです。長野さんについては三浦綾子さんが、<与うるは受くるよりも幸いなり。を徹底的に生きた人>と創作ノートで書いていますが、全く同感です。宮沢賢治の雨ニモマケズにあるように、ジブンヲカンジョウニイレズニただ神の道具となり、すべての人に惜しみない愛を注がれたのだと感じます。ほんとうに忠実な下僕として神の愛を顕現した方です。(ちなみに私はクリスチャンではありません)
(2008.10.14 00:12:59)

「遺言」は「願い」   名寄まんじゅう さん
ヨハネ伝第12章24節は、長野さんを語るうえで
誰もが想い浮かべる聖書のみことばですが、
実は、作家の童門冬二さんが吉田松陰を描くときにも
みることができます。
松陰は安政の大獄で処刑される前日に、弟子たちに
遺書ともいえる「留魂録」を認めます。
その中で、自分は三十年の寿命を閉じるが、それぞれ
天から与えられた春夏秋冬の四季があり、ただその終わりが来たにすぎないと書いています。
そして、私の人生は籾殻か粟であったかは知らない。
もし私の意志を継いでくれるなら、それは確かに種子になるだろうと述べています。 (2008.10.23 18:43:49)

続「遺言」は「願い」   名寄まんじゅう さん
この松陰のことばを長野さんに当てはめると、私には合致します。
長野さんは自分の死期をわかっていたようです。
長野さんの意思(意志)とは、遺言のなかの
「余は諸兄姉が、余の永眠によりて、天父(神)に
近つき、感謝の真義を味ははれんことを祈る」
という一節になるでしょう。
残された人々や後世のわたし達は、「長野さんは一粒の麦になり、死んで多くの実を結んだ」と思っていますが、長野さんは「わたしの心を継いでくれるのなら、実になることなどどうでも良い。わたしはただ一粒の麦でありたい」と願っていたと思います。
身を挺して乗客の命を救った事実と、他にもこのような意味もあるのだとヨハネ伝を解釈しています。 (2008.10.23 19:39:19)

おりにふれて、長野さんのこと   名寄まんじゅう さん
また、吉田松陰のことから書かせていただきます。
わたしの好きな歴史上の人物ですので、お許しください。以前読んだ書籍のなかに、出典は忘れましたが、
松陰をして、
「肉体は無くて、魂だけが存在していたようだ」
と評する一文がありました。
これを見たとき「いいな!」と思い、心に留めておいたのです。
かれは自分を捨て人のため、国のために命を捧げました。また同時に、当時には珍しく広い人間愛をもっていました。(士農工商に批判的で、被差別部落の人達を庇護したりと人間平等と尊重の精神の持ち主です)
「愛と死の記録」を読み進むにつれて、上記の評言を思い出しました。
長野さんは私心がなく、ひとのため、そして神とキリストのために命を捧げました。
実際にはふたりとも、肉の衣を纏っていましたが、
どこか人間離れして精錬とした生き(死に)方に、
「言いえて妙だなあ」と納得しています。
ところで、小説の補遺には杉浦仁さんの手紙が紹介されています。
杉浦さんの証言からの推測ですが、もしかしたら
長野さんは、当初は自分の死に気付かなかったのかもしれない・・・ということです。
いつも教会と信者のことが心にあった長野さんは、
「死んだ」という事実よりも、「自分を待っている人達のもとへ行かねば」という想いの方がはるかに強く
あのような出来事になったのではと思います。
(この事実も、評言の確信を得る裏付けになります)
それから、長野さんと教会員たちの普段からの調和のある信頼関係があってこそ・・・ということも、付け加えなければならないでしょう。



(2008.11.14 20:26:40)

身、滅ぶとも魂は死なず   中島啓幸 さん
名寄まんじゅうさん
吉田松陰.僕も大好きです!政雄さんと出会っていたら親友になっていたでしょうね。政雄さんは今も自分は死んでいないと思っています… (2008.11.15 08:33:36)

たった一人の妹へ   ロン@ゴスペル さん
長野政雄さんが.いちばん気にかけていた妹、みねさんのお墓が東京の雑司ヶ谷墓地にあると生前、甥の高さんにお聞きしていたので、今月の28日(生林檎博出席)~29日は上京していて.29日の夕方の飛行機で帰旭しますので、それまでの時間をみねさんのお墓探しに行きます。近郊の塩狩峠ファンがおられましたら一緒に探しませんか?


おしゃべりルームの中島啓幸さんのコメントを転載しました。
http://otd7.jbbs.livedoor.jp/701780/bbs_plain (2008.11.16 07:32:31)

質問(もしも、長野さんが殉職しなかったら・・・)   名寄まんじゅう さん
小説「塩狩峠」の主人公永野信夫は、牧師になる青写真がありましたが、
実在の長野政雄さんは、どうだったのでしょうか?
結婚などもしていたのでしょうか? (2008.11.25 21:23:06)

牧師にはなりたかったと思います   中島啓幸 さん
名寄まんじゅうさん
絶えず神を語り、遺書を携帯し「生きたバイブル」的存在だったために偉すぎて当時も今の女性にも寄り添い生きることのできる器を持った方がいないと思います。妹のみねさんが、ふじ子さんに近い存在だったような気がします。 (2008.11.26 09:35:43)

天が二物を与えた人です。   名寄まんじゅう さん
文庫版(P399)にエペソ第5章22.28節がありますが、
長野さんのような、あまりにも偉大な夫には、それこそ妻は、(ほんとうに)
キリストの如く仕えなければならないのですね。
これは女性にとっては、もの凄くハードルが高いんじゃないでしょうか・・・。
妹みねさんが、ふじ子さんに近い存在というのも、わかるような気がします。
私個人の見解としては、異性として意識はせず、老若男女の神性をみていたのでは、と思っています。


(2008.11.26 21:04:53)

長野政雄さん、ご無沙汰しておりました。   byshin さん
クリスチャン系の高校に通っていた約20年前、聖書の授業の一環で講堂にて映画『塩狩峠』を見ました。当時はこんなに慈愛深き人がいるのかぁ。
悲しい話だ。とくらいしか思いませんでした。
もちろん名前も覚えていませんでした。
たまたま先日の新聞で、塩狩峠にちなんだ散策と講和の募集があり、調べてみました。『長野政雄』さんだったのですね。ノンフィクションの映画として深く感銘を覚えました。あの初めて『塩狩峠』を見た記憶がよみがえってきました。いつまでも語りつないでいきたいです。
(2009.01.06 15:10:57)

byshinさん   ロン@ゴスペル さん
初めまして。
ロンと言います。
三浦綾子と旭川
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/matsushita/
というホームページの管理人の一人です。
100年間語り継がれてきたこの「塩狩峠」を次の100年にバトンタッチしたいですね。
宜しくお願いします。

そうそう三浦綾子読書会のホームページも語消化しておきましょう。
http://miura-ayako.com/ (2009.01.07 21:58:52)

長野政雄のおかしさ   平成生まれ さん
1.常に遺書を持参していたこと(いつ死んでもいい)。
2.そのまま列車を下降させていたらどうなっていただろうか。別に何ともなかったかも
3.自分の身を放り出して電車を止めるという方法 他になかったのか

(2012.07.11 14:07:01)


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