カテゴリ:読み聞かせ、&自分で読む読書へ
短編がいくつか入ったこどもの文庫本。(あまんきみこ) 「この本を読んで」と息子にいわれて、読みきかせしていた。 このなかに「すずかけ通り3丁目」というお話がある。 戦争に関係したお話。 わたし、だめなんです。こういう話。 で、涙があふれてきて、声が詰まって、読み聞かせが・・・できなくなる。 以前、息子の3年の下の教科書にもあまんきみこさんの、 「ちいちゃんのかげおくり」というのがでていた。 戦争の話です。 やっぱりだめなんです。 「おかあさんの木」という文庫本を息子に読んでいたときも、 やっぱり涙があふれてくる。 今日も、なんとか読み終わったあとは、もう「え~んえ~ん」と大声で。 息子はタオルをもってきてくれて、「ママ、これよんでもらうんじゃなかったよ。」 「ママ、大丈夫だよ。」って言って慰めてくれるけれど、 自分の無力感についついどっぷりと入ってしまう。 亡父に東京の大空襲の話を聞いたことがある。 まったくのうてんきなわたしだったと、思う。 「思い出したくない」「あとからあとから、爆弾が降ってきて、こわくてこわくて」 「熱くて熱くてみんな川に飛び込むんだ」「でもそこも熱くて・・・」 そんなことを口走って、口をつぐむ亡父。 時々戦争の話があると、父の言葉を思い出す。 「戦火を潜り抜けてきた」とは命だけでなく、精神的にもしっかりしていないとやっていけ なかったと思う。 担任が言っていた。「ちいちゃんのかげおくり」を読んでもこどもたちは戦争が悲惨と ぴんとこないらしいと。 どうも「イメージ」ができないらしい。 ということはそこに「悲しみ」が「イメージ」できないということだ。 戦火を潜り抜けてこられた父と母がいて、私がいる。 もし戦死していたら、わたしはいない。 そう思うと、生き抜いてくれ、まだ健在な母が有難く思えて。 そう感じたら、父や母の短所など、たいしたことではないと思えた。 生きていること、それ自体が凄いこと。 存在自体が凄いことと。 そして、わたしには「息子」がいる。 私は息子に命をつないだ。 生きてほしい。生き抜いてほしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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