【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

ショップハンター

ショップハンター

2014.08.10
XML
 前回はフィリピンで歌っていた男が米国の大御所バンドのヴォーカルに抜擢されるという、夢のようなドキュメンタリー映画をご紹介しましたが、今回はまた趣向の異なる音楽ドキュメンタリー映画になります。 



 創作系の仕事をしていますと、現実問題として自分の作品(商品)がどれだけ売れるかが死活問題になりますね。
 趣味の創作活動なら自己満足で一向にかまわないのですが、それで食べて行こうと思ったら売れるものを作っていかなければなりません。

 渾身の作品ができあがっても、売れなければ生活できませんので、とっとと軌道修正する方が得策ということもあります。
 今回は、音楽活動に見切りをつけた男が、知らぬ間に伝説になっていたという映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』[2012 年]をご紹介します。



 その小説のような運命のいたずらは、テレビ番組で特集され、劇場でも大ヒットを飛ばした映画ですので、ストーリー自体はご存知の方も多いかもしれません。
 レンタルもかなり長い間貸し出し中が続いていましたね^_^;

わかりやすいあらすじ


 70年代初頭。
 一枚の輸入盤ロックアルバムが大ヒット。

 アパルトヘイトで揺れていた南アフリカ。
 束縛に満ちた社会を皮肉った歌詞は、政府の言論弾圧の網目をかいくぐり、その憂いを秘めたメロディーとともに国民たちの心を揺さぶった。

 次第に国民の関心は、この歌い手に。
 あまりにも情報がなさすぎて、ステージで自分の頭を撃ち抜き、壮絶な死を遂げたという噂まで流れる始末。

 時は流れ、90年代に。
 ネット検索でようやく見つかったのが、なんと無名同然の米人歌手。

 南アフリカでは、今でもビートルズやローリング・ストーンズと名を連ねるほど有名なミュージシャンなのに、まさか本国で無名なハズはない!
 音楽マニアたちがさらに彼について調べてみたら、音楽性を遥かに上回る人間性にみなビックリ。

みどころ


1. 今や二度の伝説となったミュージシャン、シクスト・ロドリゲス

 高い音楽センスと独特の風貌を買われ、1970年にデビューを果たすも、アルバムは鳴かず飛ばず。
 2 枚のアルバムを発表したが、1974年に音楽業界から足を洗い、そのあとは消息不明に。

 デビューアルバム「COLD FACT」が海を渡り、南アフリカで大ヒットを飛ばすことに。
 ロドリゲスはこの事実をまったく知らないまま。



 今や工事現場で汗水たらして働くロドリゲス。
 ミュージシャンを全く感じさせないその生活ぶりだったが、その人生観がまさにロック。

 本当はもっと書きたいところですが、仙人のような彼の人間性は映画を観てからのお楽しみということにしておきましょう。

(おまけ)
 この作品がアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞したにもかかわらず、ロドリゲスは授賞式を欠席。
 その理由というのが、「(解体工の)仕事があるから」。

2. 映像効果

 普通、ドキュメンタリー映画はあまり映像効果を狙わず、インタビューと当時の映像を貼り合わせたタイプのものが多いのですが、こちらはケープ・タウンの海岸線をバックにロドリゲスの曲「シュガーマン」が流れる演出からして名作映画の雰囲気が漂っています。

 この他にも、当時のデトロイトの街の写真を分断し、立体映像のように見せる演出から、現代の雨のデトロイトに稲妻が注ぎ、そしてそのままその街が鉛筆画に変化するところで回顧シーンに移行していく流れも、強いストーリー性を感じさせます。

 また、その逆に、鉛筆画からモノクロ画、フルカラーアニメーションの順にシフトしていくシーンも視聴者を飽きさせません。

 しかし、この芸術的な演出もストーリーが進行するにつれてかなり抑えられ、ロドリゲスという謎に満ちた人物像から、彼を身近に知る者たちの実際の語りのシーンをたくさん盛り込むことによって、ドキュメンタリーとしてより現実味のある仕上がりとなっています。

3. 人びとの歓喜に満ちた顔

 音楽界からは引退していたロドリゲスだったが、南アフリカからの熱烈なラブコールによって実現した、一回きり(当時)の南アフリカ凱旋ツアー。

 お世辞にも鮮明とはいえない当時の映像ながら、ロドリゲスが南アフリカのステージに立ってくれさえすれば、それでみな感謝感激だったという様子が映像全体から伝わってきます。
 苦しいポスト・アパルトヘイト時代を生き抜き、ロドリゲスの伝説の音盤で心を一つにしていた国民たちが、今度は生身のロドリゲスと一緒に心を通わせることができるのですから、彼らにとってはまさに奇跡的な体験だったことでしょう。

 ロドリゲスに注がれる観衆の視線には、まるで神々しいものを眺めるような、それでいて懐かしいものを見るような感極まった表情がよく現れています。

 しかも、ロドリゲス自身も全く気取ったところを見せず、バーの片隅にいるような流しのギタリストのノリで演奏する姿は、プロ根性なのか、若いうちに人生を達観した末にそうなったのか、とてもブランクが長かったとは思えない落ちつきぶりです。

どうでもいいトリビア


1. 南アフリカ以外の国でもそこそこ売れていたロドリゲス

 ロドリゲスのアルバムがヒットした国は、南アフリカ以外では、ボツワナ、ジンバブエ、ニュージーランド、オーストラリア。

 二度のオーストラリアツアーも行っており、1977 年にはオーストラリアで「At His Best」というコンピレーションアルバム、1979年のオーストラリライブの収録アルバムとして「Rodriguez Alive」も 1981年に発表されていますので、完全に無名とは言い切れない部分もあります。

 参考:Rodriguez Alive [Rodriguez 公式サイトより]

 「無名」というキーワードを演出部分ととらえ、その分は差し引いて観賞するのも一つの楽しみかたになるでしょう。

2. フィルム

 撮影の途中で 8mm フィルムを切らしてしまったが、予算の関係で残りは iPhone アプリ「8ミリカメラで」続行。

 参考:8ミリカメラ [外部リンク]

3. 海賊盤の矛盾

 ロドリゲスのデビューアルバム「COLD FACT」の正規盤が南アフリカで50万枚売れたという解説がありますが、この解説どおりに解釈すると、1970年頃の人口(21,402,470人)、そして大ざっぱに見て黒人:白人 = 8:2 の人口比から計算して、白人が 400万人、つまり10人に1人強以上の白人が正規盤を所有していたという計算になります。

 参考:南アフリカの人口分布(WikiPedia) [外部リンク、ソースは英語]

 よって、南アフリカが海賊盤の温床になりやすいというよりは、むしろ積極的に正規盤を求める傾向が高かったことがうかがえると思います。

 また、輸入盤か、国内盤かにこだわる傾向についても、ライナーノーツや特典に依存するものが多く、現代でも本当にファンなら値段よりむしろ詳しい情報を得られる特典付きの商品の方を求める傾向は健在といってもよいでしょう。

4. マリク・ベンジェルール監督

 映画の撮影と美術(挿し絵・アニメーション)の両方を担当。
 2014年5月13日自殺。
 鬱を患っていたといわれている。



web拍手 by FC2 ←こちらからこっそりコメントでけます








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.08.22 22:19:16


PR

楽天カード

サイド自由欄

キーワードサーチ

▼キーワード検索

日記/記事の投稿


© Rakuten Group, Inc.