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Kerouac

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2007.08.06
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■蘇州のホテル

到着した蘇州駅は工事中だった。車両からホームに降りて辺りを見渡すと、当然上海に比べれば小さい。周囲に高い建物が全然無いので空が広い。少し見える駅の北側は戦場跡か?という程、建築物がなくバラック小屋しかない。道路も舗装されていないようだ。
駅の改札口は南側にあり正面に出ると、こちらは舗装され、だだっ広い駅前広場が広がっている。そして隙をもてあましたような人が妙にたむろっている。こういう景色や雰囲気も日本とは違う。日本の都市部にある駅前広場はほとんどが狭くて車が渋滞している。人間、全く持っている知識が目の前の情景と照らし合わす事ができない事態に直面すると、静かにパニックになるのだと思う。それが単に「駅前広場」という、生きて動いていれば目にする至極単純な場所(モノ)だとしてもだ。全く知らない街の駅前で(駅前とは思えない、景色を目の前にして)自分の居場所を自分自身に教え込むように立ち止まって蘇州の街を眺めていると・・・多くの客引きが寄ってきた。尋常じゃない!僕たちは50人ほどの中国人に囲まれた。さすがにちょっと怖い。僕たちの行く先を阻むようにどんどん前に立とうとする客引きを、無視して振りほどくように、駅前広場を道路に向かって歩き出すと、彼らは諦めていくのか分からないが、徐々に減っていった。ただ、黙々と客引きを無視して歩いている僕らだが、実は、今日泊まる場所のアテがない。荷物が重たいので桑原君と小声で相談して「最後まで根気よくついてきた客引きに引っ掛かってみよう」という話にした。
駅舎から300m程歩いたところで、客引きがついに2名になった。よくここまで来たもんだ!どうやらこの2名は仲間のようだった。彼らの話を聞いてみると1泊36.8元(約412円)だという。客引きにしては安いと思う。ホテルは近いと言っているようなので、ついていくことにした。
駅からしばらく歩き、線路の下の細くて暗いカード下をくぐり駅の北側に出ると、突然、道路の舗装はなくなり、土の道になった。こちら側(北)に観光客は来ないだろうと思う。街として、北側の景色は隠しているのではないか?というほど線路を挟んで南北を分けているように感じる。さっき少し見えたバラック小屋の集落を縫うように土の道を歩く。雨が降ったらドロドロの道になりそうだ。桑原君とお互いの不安な顔を何度も見合わせながら、彼らについていく。バラック小屋の前で座っている人たちが、珍しいものでも見るかのように僕らを眺めている。タイムスリップしたような錯覚を感じながら、15分ほど歩いただろうか?目の前にコンクリートの少し大きな建物が見えた。4階建てくらいだろうか?周囲に見えるまともな建造物と言えばこれだけ。といった感じがある。客引きはニコニコしながらこの建物に入っていく。その笑顔は嘘くさい気がする。建物の正面には「花苑飯店」と書いてある。その下に「熱烈歓迎」「WELLCOME」とも書いてある。さらにその下に日本語で「いらっしゃいます」と大きな字で書いてあった。「いらっしゃいます」って・・・

建物は、ちょっとボロイアパートのような感じだが一応ホテルの体は成している。怪しい気もするし、怪しくない気もする。僕も桑原君も貧乏旅行初心者で基準がないので、よく分からない。
とりあえず建物に入ってみると、ロビーのようなところがありフロントもある。ふとロビーに日本人らしき二人連れを見つけた。話しかけてみたら、韓国人だった。中国人は見た目でだいたい分かるのだが、韓国人は日本人に本当に似ている。見分けがつかないことが多い。ひとまず韓国人からこのホテルの情報を得ようと、悲しい英語力で必死に会話をすると、自分たちも着いたばかりで「このホテルのことはよく分からない」と言う。
桑原君と話をして「安いし、とりあえず部屋を見てみよう」という話になった。客引きにそれを告げると三階の部屋を見せてくれた。バックパッカーをしていると、まず部屋を見せてもらうことは常套手段だ。
部屋はツインだった。エアコンなしシャワー無し。共同シャワーは18時~19時に1時間だけお湯が出るらしい。他の時間は水が出るだけのようだ。

しばらく悩んだ挙句、結局僕たちは安さに負けたのと、この暑さの中、大きな荷物を持って動くのが面倒だったので、このホテルに決めた。
「ここまで来て帰るなよ」と、言いたそうだった客引きの兄ちゃんが、ちょっと安堵の表情を浮かべたように見えた。そして僕たちに部屋の鍵を渡してくれた。

僕たちは部屋に入って荷物を解いた。僕は、畳1枚を敷いただけの硬いベットに腰掛けると、喉が強烈に渇いていることに気付いた。一応、心に余裕をもって部屋の交渉をしていたつもりだったが、やはりかなり緊張していたのだろうか?僕の喉の渇きは尋常じゃなかった。
中国は水道水が飲めないので駅で買ったペットボトルの水を飲んだ。
僕たちは「とりあえず安いし、汚いけど泊まれないことはないし・・・」と自分たちの決断を肯定するために少し話をした。
一息ついて、部屋の窓から外を見てみた。周囲にはこのホテルより高い建物はない。戦後の日本を生で見たことはないけど、写真で見る空襲の後の焼け野原からの復興を目指す街のようだった。
舗装されていない道、人力車が辛うじてすれ違える程度の狭い道、自転車が通る度に巻き起こる砂煙、バラックから突き出たトタン屋根の下で食事の準備をする人・・・感想は・・・ない。僕は、ただその風景を、他人事のように見ているだけでしかない。

街を見ていると、バラックの間から所々、白い煙が上がっている。もう夕方が近い・・・。そうだ!僕たちもお腹が空いている。シャワーの湯が出る18時頃に戻ってくればいい。まだ時間は17時前だ。僕たちはさっきの韓国人とその連れを誘って4人で食事に出ることにした。
中国では、貴重品は全て部屋から持って出たほうが良い。部屋の荷物なんか従業員がすぐ荒らしてしまう。日本の常識は通じない。中国では盗られる方が悪い。
細い道を歩きながら、駅のほうへ戻って、もっと清潔そうなところで食べようか?という話も出たが、バラック街を歩いていると、それなりに美味しそうなものも売っている。その中でも客が多めの食堂を発見して入った。
庶民には、まだ冷蔵庫がいきわたってない中国、特に田舎では「冷えた水」とわざわざ言わないと冷えた水は買えない場合がある(しかも冷えているものは高かったりする)。
ここでも当然冷えてないビールだった。ぬるいビールで乾杯し、お腹を案じて火の通った食べ物で腹を満たした。ぬるいビールは酔いが回るのが早い気がした。決して味は悪くなかった。
韓国人とは英語を駆使しながら、それなりに楽しく会話をしながら食事をとった。金額は4人で45元(約500円)だった。

僕たちは、道端に座っている人たちに怪訝そうに見られながら、少し遠回りをしてバラック街を歩いてホテルへ帰った。途中たくさんの子どもに囲まれた。「何かくれ」と手を差し出してくる。どうすればいいのか分からない。ここで恵んでやることが必要なことなのか?しかしそれもこの人数相手にキリがない。僕たちは歩く速度を早めてホテルへ帰った。





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Last updated  2009.09.08 19:06:32
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[1995中国旅行(編集期間'07年8月-10月5日)] カテゴリの最新記事



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