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2007.09.10
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■最後の街へ
既に成都に来て4日経った。居心地がいい。前述したように成都に来て5日目にチベットは諦めたものの、帰国までの時間に、あと2回は別の街に移動するつもりだったけど、このまま成都にあと3日ほど居ようと思う。あと1つ立ち寄る街はどこにするかまだ決めてない。
要は、成都から北京に戻る前に立ち寄る街を1つ減らしたというだけだ。
なぜそうしたのかは、成都で時間をたくさん使いたい、という気持ちが強かったからだ。
「せっかく旅行に来たのに、ダラダラ過ごしてもったいない」と言われるのが怖くて一生懸命動いてきた。でも時間をかけることで分かる楽しさもある、ということに気付いた。
もっと言えば、今の僕の立場である学生の時間(とき)と言うのはモラトリアムという時間軸の中にいることだ。
学生という立場の終了後に就職するのであれば(その予定なら)その時間でする旅行はモラトリアムの終焉を見極める旅でもある。
僕は大学生になるときに「大人になって後悔しないように4年間しっかり遊ぶ時間が欲しいから大学に行く」と親に話していた。だから大学なんてどこでも良かったのだ。
ただ、一般的な学歴は欲しかった。僕にとって一番都合の良い方法を選んだのだ。今は打算することが嫌いだけど、よく考えると打算をしているな・・・と思う。
まぁ、とにかく4年間、立場を保障された状態(学生)で、遊ぶ時間が欲しかったのだ。
僕にとって、モラトリアムの中では「十分な時間」も必要条件だった。
だからモラトリアムの中で旅を楽しむことは、時間を贅沢に使うことでもあった。

時間を使う旅の仕方に気付いたから、行ける都市を減らしてでも「旅」を楽しみたくなった。成都という街に身を置く時間が長いほど、この街に溶け込めるはずだから。
僕は、成都での多くの時間を川沿いのフラワーカフェとホテルのロビーで過ごした。
一日中カフェで本を読んだり、人と話をしていた。
交通飯店にはたくさんのバックパッカーがやってくる。

上海の大学に留学している日本人
慶応大学の学生
昆明の大学に留学している日本人
中国友好ボランティアに参加している英国人
その彼女(アメリカ人)
彼女が失踪したので旅行に来たヤツ
・・・キリがない。

とにかく僕は、人の話をたくさん聞くことで自分の思慮の少なさを埋めることができると思って、たくさん話を聞いた。
僕は今、自分の旅にたくさんの言い訳や定義を作りながら旅をしていると感じる。それはやはり自分のことがキッチリ分かっていないことに他ならない。
だから、同じような旅行をしている人の話をとにかく「聞く」ことで、自分の指針も生まれると思ったのだ。
僕は余り人の話を聞かずに大学生になったように思う。これからはたくさん人の話を聞こう、と考えていた。だからカフェに居て、いろんな人と話すのが楽しかった。

夜になると、レゲエバーでお酒を飲んだ。どこにこんな田舎のバーにこれだけの外国人がいるのか不思議なくらい、そのバーには外人がいつもいた。
隅のテーブルで飲んでいると、踊りながら中国人の女が近づいてきて声をかけられる。筆談しかできないのでたいして盛り上がらない。
たくさんの黒人や西洋人が、中国人の女と絡み合うように出て行く。

女が欲しくないといえば嘘になるかもしれないが、言葉ができない事は、海外で楽しむことのできる可能性を減らすことは間違いない。
ただ、通りすがりの旅人のようにその街の匂いを感じることなく動き続ければ、そんなことはあまり関係がない。
ガイドのいる旅行でも関係ないと思う。
中国に来て今まで、言葉ができない事で困ったこともたくさんあった。だけどそれは、なんとか意思さえ伝えればそれで済むだけのことでもあった。感情の伝達は不要だった。

でも、僕は「時間」と「街」を組み合わせて楽しもうとしている。だから僕は少し寂しい気持ちになった。感情を少し伝えたくなってくる・・・

ある夜は、日本人5人、どっかの先生のアメリカ人2人で、四川省成都の名物「火鍋」を食べに行った。
道端の露店は大盛況で、僕たちが行くと店の店員はテーブルを道路に追加で出して対応した。
メニュー(菜単)を見ると、ツアーに組み込まれているような高級店と比べると値段は1/4程度だった。
みんなで張り切って火鍋を頼んだものの、出てきた鍋は唐辛子で真っ赤。かえるの足のようなものを入れて食べると、口は一気にしびれてジョッキを一気に飲み干すほど。
僕は結局5切れほどしか食べることができなかった。
隣のテーブルにのっている鍋をよく見ると、鍋が二つに分かれている。白湯と唐辛子の赤い鍋と半々だ。
なるほど・・・四川の人間でもこの辛さはキツイのだ。そう思って周り全体のテーブルを見ると、ほとんどが「赤」「白」半々になった鍋で食べている。真っ赤の鍋で食べているのは僕らぐらいだ。
食材はほとんど食べることなく、辛さのために飲んだビールだけでお腹がいっぱいになって、僕らは店を出た。

僕らは気の合った4人で何度か行ったレゲイバーへ、はしごした。ジントニックをカウンターで頼み、カウンター近くの席に座ってフロアの踊りを見ながら飲んだ。店の中は平日のためか余り人が多くない。
一緒に来たメンバーも中国人の女と話をしていたが、飽きたらしく僕の席へ戻ってきた。
しばらくいたが、トイレがいつまで経っても空かないので、店を出た。なかでごそごそ音はするのだが・・・。

交通飯店に戻って、共同のシャワーを浴びて汗を流した。そしてまた川沿いのフラワーカフェへ行った。いつものおばさんは元気で、早速僕をみつけると声をかけてきた。いつのまにか顔見知りになっていた。
僕はビンビールを頼んだ。何人かの日本人が話しかけてきた。取り留めのない話をした。カフェが閉まったら、ロビーで話をした。

帰国の時は迫ってきていた。でも北京に戻る前に一つはどこかに寄って行きたい。しかし余り遠くは時間が厳しくて行けない。
多分、取り留めのない話の中に、西安から来た人の話があったはずだった。区画整理された街、城壁に囲まれた街なのが西安。そして王朝時代の都、長安だった街。
歴史の学が無い私にとっては、京都みたいなものか?と思ったが、城壁に囲まれた街というのには興味がある。

僕は最後に西安へ行くことにした。





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Last updated  2007.09.10 17:04:46
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[1995中国旅行(編集期間'07年8月-10月5日)] カテゴリの最新記事



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