カテゴリ:読書録
以前、免怒苦齋.さんに一読を進められていた『日本資本主義の精神』(山本七平・ビジネス社)を読んだ。
「終身雇用など、同時の性質を持っていた日本の企業は、どんな理由からその独自のシステムを作り上げたのか」ということが、とうとうと書かれている本である。 著者がこの本の中でいいたいことを要約すれば「日本の会社は、利益を求める機能集団であると同時に、会社そのものが働く人にとって『ムラ』(=共同体)でもある」という一言に尽きると思う。 自分もそういう風に感じて日々仕事をしているので、とりたてて新鮮な論だとは思わなかった。 ただ、本の中で少し引っかかった文章があった。 それ働くことに関する次の一文である。 「これは、あらゆる面に見られる日本的特徴である。このことは経済性を無視しても、成果が全く無くても『ひたすらやった』ことに意義を感じ、同時にそれが、その意義を認めよ、という形になり、それが認められないと、不当と感じ、強い不満を抱くという結果になる」 これはつまり、「実際の成果よりも『ひたすらやった』行為そのものを評価する社会だから、だらだら残業が増え、結果として会社の収益を圧迫する慣習が日本にはある」ことを指摘している。 確かにそういう一面はあると思う。経済がグローバルになり、世界の企業と競争しなければならない時代に、こういう慣習が根強く残ることで、販管費がなかなか下がらないのは、企業にとっては頭の痛い問題だろう。 だから、特にグローバルで活動している企業が多く参画している経団連は、ホワイトカラーエグゼンプションを導入したいと声高に叫んでいるのだと思う。 経団連の会長や副会長の顔ぶれを見ると、かなりの数の人が留学経験や駐在経験があり、特にアメリカで過ごした人が多い。 彼らはおそらく「空気を読んで、他人と歩調を合わせる」「努力していることをそれとなく人に見せ、共同体への忠誠と奉仕をアピールする」といった、いわゆる「ムラ社会」のルールは不要だと思っている。コストがかかるだけで、企業にとっては「ムダ」だと考えている面が強いのである。 是非はともかくとして、精神が「脱亜入欧」して、黒い目のガイジンになってしまっている、と言い換えてもいい。 最近はいろんな大手企業がホールディングス(HD)化するのがブームだけれど、あれも多分アメリカでガバナンスを学んで、それに心酔した経営者がやっているだけなんだと思う。 事業部ごとに会社化し、それそれの部門の利益率、作業効率を高め、持ち株会社(HD)はトップダウンでそれを管理、適宜指示を出せばよい。シンプルで解かり易いじゃないか、という考えだ。 私が会った何人かの社長は、いつもこんな感じのことを言っていた。 でも、本当にそうなのだろうか。 HD化した企業には、全体的に見て利益が足踏みしてしまうところもある。「横のつながり」を捨ててしまうからだ。 「しくみ」というのは、それを導入する場所の文化に合わせて適宜改良してやらなければいけない。 それを理解せずに、ただ単にHD化した企業は曲がっているように見受けられる。 かつての日本人は「共感する」「『同じように行動して』ともに何かを成し遂げる」ということに喜びを感じる体質だった。 横同士の連携をすることで、周囲の呼吸を知り、一歩遅れていればそれを『恥』と感じてこっそり頑張る。そしてある程度の成果を出す。そういう細かいところでの現場の頑張りの小さい積み重ねが集まって、結果として大きな利益につながっていったのだと思う。 そもそも「はたらく」という語源は「端(=周囲)が楽になる」というところからきている。周囲のために働き、回りまわって自分にも恵みがやってくるという生き方なのである。 日本人にとって労働は自分も他人も幸せになる「仏行」であり、現在もその文化はDNAに刻まれているような気がする。 だから、その習性を知った上で、HD化した会社は強くなる。 会社全体が一体感を持てるような企業風土を取り入れたり、成果主義を導入してもゆるやかだったり。どこかに「仲間意識」を持たせる施策を取り入れている。 そういう会社が、HDという縦の糸と、ムラ社会という横の糸をうまく織り成して、より強い「日本型企業」に脱皮しているように思えるのだ。 (免怒苦齋.さまへ追伸) 今仕事中でちょっと忙しいのですが、忘れないうちにと思って記しました。 こんなところで堪忍してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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