カテゴリ:健康~こころとからだ
先日、知り合いと新年会をやったのだが、メンバーの一人に、年齢に比べると、すごく美人で声も綺麗な女史が来ていた。
本当に美人だし、料理も上手できれい好き。なのに彼女、独身で彼氏もいないらしい。 「どうして彼氏つくらないの?」と誰かが尋ねたところ「いや、彼は欲しいんです」という。 そこで「どんな人がタイプなの?」と再び彼女に質問が飛んだ。 すると彼女が言った。 「動物が好きで、優しい人で…あ、バカは嫌い」 この言葉を聴いて、彼女に男がいないのが、ちょっとわかったような気がした。 彼女は自分自身で機会を遠ざけているように感じたのだ。 (彼女自身にも言ったが「『バカは嫌い』という発言をする人には、自分の周りの男性をとても紹介する気にはなれない」というのが私のスタンスである) そもそも、バカは嫌い、という言葉自体が相当きつい言葉で、上から目線という印象がある。 また彼女自身が美人なせいも手伝ってか、男に対する目も肥えているだろうし、なんだかうまくいかないような気がするのである。 たとえハンサムでなくとも性格のよい男性を紹介しようかななんて思っても、きっと面食いさんなのではないかと思ってしまう。 あと、私が「バカは嫌い」という言葉自体が嫌いなんである。 世の中でいろんな人に会えば会うほど、私は私自身を「何て物を知らない人間なんだろう。『ばか』なんだろう」と思う。 自分の無知をいやというほど自覚しているのである。 でも、ソクラテスの「無知の知」じゃないけれど、無知な自分を自覚するからこそ仕事に生かせることや人に対してできることというのが湧き出てくる。「何も知らない」という目線であるからこそ、自由に生きられるし、失敗しても恥ずかしい、と萎縮する気持ちが小さくなるのである。 それはプライドが小さくなる、ってニュアンスに近いかもしれない。 人間は「群れる生き物」である。 私が「自分の『ばか』さ」を知覚しているせいなのかわからないけれど、私が尊敬する人はみんな「自分は『ばか』だ」という。 虚勢を張ることをやめたから、言える言葉なんだろな、って思う。 そういう人は社会に対してちゃんとその人なりに影響を与えているし、そのへんの人より「できる」人が多い。でも、威張らない。 美人の彼女に「私は『おばかさん』が好き」と言われたら、きっとそういう「自称『ばか』」の素敵な人を紹介するのだけれど、「バカは嫌い」と言っているうちは、その良さは多分わかってもらえないと思う。 新年会に集まった人たちは、みんな彼女が好きだから「そういうものの言い方で、君は随分損していると思うよ」と年輩の人が諭していた。 その言葉、彼女にちゃんと伝わってたのかなぁ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年01月29日 01時38分20秒
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