カテゴリ:読書録
ジョージ・オーウェルの『1984』を読み終えて、今度は村上春樹の『1Q84』を読んでいる。
それはともかく、オーウェルのは大学時代に読んだ印象とだいぶ異なる感じ。オーウェルの描く世界の未来は人々は「二重思考」を身につけ、党が目の前に指を4本突き出して「いくつだ?」と聞いても、「5つ」が正解ならば、自分の意識では5つにも「本気で見える」。管理された民の、思考の行き着く姿を描いている。 これは著者目線だと「よくないことだ」「おそろしいことだ」「自我が洗脳され、権力にのっとられた」ということを示しているのだと思う。 ただ、この話を読んでいて般若心経の一説を思い出した。 「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむけいげ むけいげいこ むうくふ)」という部分なのだが、この意味をざっくり要約すると「心にこだわりやつまづきのない状態となれば、こだわりがないのだから恐怖も起こらなくなる」といったところだろうか。 こだわりがなければうがったものの見方や邪推・妄想に囚われず、平穏でいられるというわけである。 ひょっとしたら「悟り」も『1984』の拷問で得られる思考のいきつく先は同じ状態なんじゃないか?この本にはそう読めるのである。 自我にとっては「権力に思考をコントロールされる」のは「たまったものじゃない=悪いこと」と感じるが、その視点で描かれた社会が『1984』なのかな?と、感じた。 一方、仏教は自我を自ら放逐する=悟ることを説く。仏教の考え方は、言ってみれば自分で自我を武装解除するものである。 大学時代は一方的にそういう1984的社会が悪いもの、恐ろしいものだと思ったが・・・強制的に誰かがやるか、自分でやるかの違いだけなのかも、なんて感じている自分もいる。 坐禅に足しげく通うようになってから、ちょっと頭がおかしくなったのかな。 ということにしておこう(笑) <お知らせ> 9月29日のギネス友の会のご案内は、ご参加予定の方に昨日メールをお送りしました。 届いていない方は、再送しますので、恐縮ですがその旨ご連絡いただけますと幸甚です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年09月26日 18時36分42秒
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