2012年を振り返って 海外編 その7
【11月】 48)米大統領選でオバマ氏が再選巨大ハリケーン・サンディの襲来がどう影響するかで注目された大統領選挙でしたが、民主党オバマ現職大統領が接戦の末勝利しました。災害に対する対処が適切で、結果的にサンディがオバマを味方したという解説もありましたが、もともとこの大統領選が接戦になったこと自体が驚きでした。1期目のオバマは、あまり結果も出ませんでしたが、失政もほとんどありませんでした。国論を二分する「国民皆保険制度」も、共和党と折り合うレベルで妥協できましたし(不完全な形で賛成派には不満が残りますが)、財政を圧迫していたイラク・アフガンからの撤退もなんとか進んでいます(当事国は混乱のままですが)。さらに「"核なき世界"へ向けた国際社会への働きかけ」を評価され、ノーベル平和賞を受賞していました。就任時のサブプライムローン問題も収束に向かい(もともと共和党前政権が引き起こしたことですし)、懸念だった失業率も回復基調に乗り、無難な4年を経てとりあえずオバマに死角はないと思っていました。4年前の初めての大統領選でも、オバマは接戦を繰り広げました。その時は、共和党候補ジョン・マケインが相手ではなく、同じ民主党のヒラリー・クリントンとの民主党候補選が舞台でした。当初民主党候補は元大統領ビル・クリントンの妻ヒラリー・クリントンが引き継ぐことが既定路線になっていました。共和党はそれを意識して副大統領候補に、女性のアラスカ州知事サラ・ペイリンを持ってきたほどです(結局この"とんでも女"が足を引っ張るのですが)。あの時は初の女性大統領か、初の黒人大統領誕生かが全米の注目を集めていました。ジョージ・W・ブッシュのあまりにひどい施政に、共和党の勝ち目はほとんどない状態だったからです。しかたなしに引退寸前のマケイン(72歳)を立てたぐらいでしたから。そこに彗星のごとく現われ、じりじりとヒラリーとの差を縮めていったのがイリノイ州上院議員バラク・オバマでした。民主党としては、マイノリティーの票ねらいで、4人の大統領候補の中にアフリカ系の議員も入れておこうという狙いだったのですが、その卓越したスピーチが有権者の心をつかみ旋風を巻き起こしました。オバマの追い上げにヒラリー陣営は焦り、失言を重ね(鬼の形相で「"Shame on you, Barack Obama."(恥を知れ、バラック・オバマ)」と罵った映像が流れ、ヒラリーが感情に振り回される印象を植え付けました)、ついにひっくり返されてしまいました。候補選では敗れましたが、ヒラリーは国務長官として手腕を発揮し、民主党としては最強タッグで政権を運営していました。そんな背景で迎えた今回の大統領選ですが、まず共和党のミット・ロムニーに問題がありました。普通大統領候補としてありえないプロフィールを持っていたのです。それは、彼の信仰する宗教が「末日聖徒イエス・キリスト教会」俗称「モルモン教」という宗派だったのです。キリスト教会とは言っても、他の宗派を全部否定する異端のカルト宗派で、創始者ジョセフ・スミス・ジュニアの予言(1830年)を経典としています。これがキリスト教なら、同じ神を戴くイスラム教もキリスト教です(仏教界におけるオウム真理教のようなもの?)。アメリカはもちろん信仰の自由を認められた国なので、何教を拝もうと許されるのですが、一夫多妻制を謳ったり(現在は否定しています)、白人優越主義だったり、ネイティブインディアンの子どもを養子縁組して親と引き離したり、古くは開拓団に対し虐殺事件を起こし(1857年マウンテンメドウの大虐殺)、アメリカ陸軍との戦争まで拡大しました(ユタ戦争)。アメリカはそもそもイギリスで迫害された清教徒(ピューリタン)が移住して建てた国なので、基本的にはプロテスタントの国です。当然歴代大統領もプロテスタントで、唯一ジョン・F・ケネディだけがカソリックでした。ユダヤ教やイスラム教の大統領があろうはずはなく、モルモン教のようなカルト教団も受け容れがたい部類でした。しかし、ロムニーはユタ州の資産家を父に持ち、ハーバード大出身のエリートであり、投資家としての経営手腕は優れ、資産は2億6400万ドル(約202億円)の大金持ちで、金があるということは、世の中の多くのことが思い通りになるということです。ロムニーが政界で頭角を現したのは、1994年にマサチューセッツ州上院議員選で、金に物をいわせてエドワード・ケネディ(ジョン・F・ケネディ大統領の弟)を追いつめたことでした(2002年は当選)。そして、1999年地元ユタ州・ソルトレイクシティで開催された冬季オリンピックを、組織委員長として成功させ、経営再建のプロという認識を全国に知らしめました。(モルモン教の聖地でオリンピックが開催されたのと、2018年の冬季オリンピック開催地が統一教会の聖地・平昌(ピョンチャン)に決まったのは偶然でしょうか)アメリカは現在白人の数が人口の過半数を割り、このことが逆に保守層の危機感を煽り、ここ数年で白人至上主義の極右勢力が台頭するようになりました。彼らがロムニーを支持し、大統領選を混沌とさせたのです(ロムニーに投票した人の88%が白人でした)。でも半数以上はカラードで、そのほとんどが貧乏人だから、数でいけば白人の金持ち以外が指示するオバマは圧倒的優勢なわけです。でもその低所得者層は、選挙に積極的ではありません(日本も同じです)。その結果、接戦となったわけですが、サンディが一週間ずれて投票日に直撃していたら、70年前のように大番狂わせがあったかもしれません。 49)イスラエルがガザ空爆、エジプト仲介で停戦合意イスラエルだけが攻撃しているのではなく、ガザ地区からもロケット砲がイスラエルに撃ち込まれています。お互いに、あっちが先にやったと言い張って、向こうが先にやめなければやめないと主張しているうちに、100人以上の死者が出てしまいました。今となっては、イスラエルとパレスチナと、どちらに理があるかを論じることは意味がありません。とにかく無意味な戦闘をすぐやめることです。まずやめて、再建のためにできることを、世界が協力して進めなければならない時です。 50)中国共産党総書記に習近平氏予定通り、中国の新しい皇帝が習近平氏に決まりました。習近平の父親は元国務院副総理で、世襲党役員となります。就任後、かねてから宣言していた通り、官僚の汚職の摘発を始めました。あわてて財産を整理し、国外へ逃亡を図る党幹部もいるそうです。随分真面目な人が主席になったものだと思われますが、摘発されているのは政敵の胡錦トウ派の幹部ばかりで、体のいい粛清を行っているだけだという見方もあります。中国では「汚職を野放しにすると、国が滅び、汚職を取り締ると、党が滅ぶ」といわれています。事の進展によっては、第二の"文化大革命"や"天安門事件"が起こる可能性も隠れています。とにかく危ない国ではあるので、付き合いは深入りせず、「君子危うきに近寄らず」が賢明かと。 51)韓国大統領選始まる1979年、韓国の大統領朴正キ(パク・チョンヒ)は側近の金載圭によって暗殺されました。その5年前にも暗殺事件が起き、妻である陸英修が凶弾に倒れました。あのころの僕はあまり韓国に興味はなく、独裁者が倒れ民主化への道が開かれるんだろうなあくらいにしか考えていませんでした。高校のとき「金大中事件」が起き(韓国野党の金大中が、日本で拉致され連れ去られた事件)、それがKCIAの仕業であったことがわかると、韓国の暗部ばかりが強調され、一方の北朝鮮がバラ色の天国のごとく伝わっていたこともあり、朴大統領は悪いやつだという印象だけが植え付けられてしまいました。ところが、今歴史を振り返ってみますと、朴正キは韓国で唯一のまともな正しい大統領であったのではないかと思います。朴正キは1961年クーデターにより政権を奪取、軍事独裁政治に抗議するデモを武力で弾圧します。日本の池田隼人首相と会談、国交正常化で合意しました。1963年に大統領選に当選し、1965年に「日韓基本条約」を結んで日本との国交を回復します。この条約によって「日韓の国家間における賠償・歴史問題をすべて帳消しにする」ことになりました。慰安婦問題もここに含まれていて、日本は一括して賠償金を支払ったので、問題は国家条約上では解消しているはずなのです。その後、日本を経済モデルにした経済政策を打ち出し、「漢江の奇跡」と呼ばれるほどの経済発展を遂げました。1961年に国民の一人当たりの所得がひと月80ドルだったのが、1979年には1620ドルと20倍にも跳ね上がりました。現在の韓国の発展があるのは、日本統治時代のインフラと、朴時代の日本式経済基盤の賜なのです。朴大統領を石原慎太郎は、講演でこのように語っています。【・・・・・ その判断(日韓併合)を、ある意味で冷静に評価したのは韓国の大統領だった朴正煕さんだ。私も何度かお目にかかった。あるとき、向こうの閣僚とお酒を飲んでいて、みんな日本語がうまい連中で、日本への不満もあるからいろいろ言い出した。朴さんは雰囲気が険悪になりかけたころ「まあまあ」と座を制して、「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セカンド・ベストとして私は評価もしている」朴さんが、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」と言う。 「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」・・・・・ 】(月刊正論2003年1月号)朴政権は、国内の共産党スパイと闘いながら経済発展を実現させるという、難易度の高い目標を見事に達成しました。アメリカの雑誌『タイム』で「20世紀もっとも影響力のあったアジア人20人」の中に韓国人から唯一朴正キが選ばれています(ちなみに日本人は6人、中国人は3人選ばれています)。韓国の大統領人気ランキングでも断トツ一位の75・8%で、二位の金大中(太陽政策で北朝鮮に擦り寄った)の12.9%をはるかに凌いでいます。その朴正キの娘がこのたび大統領になった、朴鈞恵(パク・クンヘ)です。これで日本・北朝鮮・中国・韓国とも世襲政治家が権力を握ることになりました。 ということで2012年は終わります、ご愛読ありがとうございました。