テーマ:ガンバ大阪☆☆☆(1801)
カテゴリ:元ガンバ
1998-2003 ガンバ大阪 140(13) 2004-2012 鹿島アントラーズ 262 (9) 2013-2014 セレッソ大阪 21 (0) セカンドキャリアの事も考えて鹿島で現役を終える方が良かったんじゃないかなぁと思うんだけど、報道によると長年鹿島に単身赴任で地元の大阪に復帰したかったようで一昨年セレッソに移籍。 去年のセレッソは酒本や丸橋もあまり良いプレーをしていなかったと思うので彼らを押しのけてまで出場していなかったのはJ1というトップレベルでは厳しかったのかなぁとは思っていた。 ユース時代はトップ下の選手だった気がする。 ボランチや左サイドやガンバでも色んなポジションで試されていた。 元々日本人選手のサイドプレーヤーには大柄の選手が少ない。 サイズがあって運動量豊富でクロスもそこそこのイバは希少価値のある選手だったと思う。 2004年のマグロンがいなくなってから明確にパスサッカーにシフトチェンジしたと思うんだけど、それまではイバのクロスからマグロンへのヘディングか、コータかオグリへのヤットのスルーパスとかがガンバの主な攻撃パターンだったように思う。 だが代表には全く恵まれなかった。 トルシエ時代には合宿で選出されたことがあるものの、トルシエは基本的に左アウトサイドの選手はパサータイプを置きたがっていた。純粋なサイドプレーヤー(アレックス、市川)はスーパーサブとして起用していた。 ジーコが代表監督になって鹿島勢が多く選出されたこともあってガンバよりも鹿島にいる方がステップアップにもなるし、代表選出の可能性も高まる。満を持しての移籍もジーコJAPANでは服部、アレックス、三浦淳宏、村井など限られた選手しか起用されなかった。その中でもほとんどがアレックスの出場で彼もSBは代表でコンバートされ初体験。守備は出来なかったし批判は多かったけれどアシストも多かった。おそらくジーコは左SBにはレフティーを起用したかったんじゃないかなぁと思う。三浦淳宏は右利きだけど両SBできるし左足の精度も高かったし、あとジーコはプレースキッカーが好きだったしね。 そんなこんなで…鹿島では移籍3年目までノータイトルだったけど、そこから怒涛のリーグ3連覇。気づけばイバがキャプテンマークを巻き優勝杯を掲げていた。 おそらくイバの鹿島への移籍は正しかった。 アキラのいるガンバにいても渋々プレーしていただけだったと思う。ただ都築やPJほど完全に干された選手と言った感じではなかったかな。移籍する前年の2003年はイバ自体も不調であったしスタメンから外れ途中出場が多かった。 まぁ起用法による確執は当時あったと思うけれど、その後宮本・バン・イバとアキラの会食の写真がネット上でupされガンバサポとしては少し安心した。 お疲れ様。
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Last updated
2015.01.19 21:39:24
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