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May 23, 2007
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カテゴリ:暗闘
  幕軍の本隊の大鳥軍は小山宿から飯塚、壬生を通過し日光に向かうべく

鹿沼(かぬま)方面に進撃していた。この時に宇都宮方面の兵火を確認した。

「先鋒隊が宇都宮城を陥したぞ」と、全軍から歓声が沸いた。

  この状況下で凌霜隊のみが勝手な行動は許されぬと判断した茂吉は、坂田

副長と速水参謀長と協議し、宇都宮まで幕軍と行動を共にすることにした。

「勝ち戦に水をさす訳にはいきませんな」  坂田副長がしわがれ声で同意した。

  二十日、大鳥圭介は半隊を率い宇都宮城下をめざし東進し、正午に入城を

果たし先鋒隊と合流し祝杯をあげた。  「よくぞ成し遂げて頂いた」

「なんの、総督の小山の勝利で敵に動揺がみられたお蔭にござる」

  土方歳三が端正な風貌で簡潔に答えた。大鳥圭介の本心は宇都宮攻略で

はなく日光籠城にあったが、土方や秋月等の主戦派の将は政府軍との戦闘に

関心があったのだ。午後二時頃に大鳥軍本軍が入城し再び幕軍は結集した。

  凌霜隊も同行し関東七城と云われた名城に入った。城内には幕軍の兵士が

いたる所に屯して休息をとっている。凌霜隊は隊長の朝比奈茂吉と坂田副長が

騎馬で先頭を行く。小隊長が整然と隊士をまとめ郭内(かくない)をめざし行軍し

た。  「あれが郡上の凌霜隊か」  「全員が新式のスペンサー銃じゃ」

  見物の兵士から好感の声があがっている。

「凌霜隊、止まれ。全員整列」  坂田副長がしわがれ声で命令を下した。

「ご老体が張り切っておるな」  「よせ、幕軍の兵士が見ておる」

  山田熊之助が斉藤巳喜之助に注意を与えていた。

「ここが堅城で名高い宇都宮城じゃ、心いたし見物するのじゃ」

  速水参謀長が背をしゃきっと伸ばし精悍な相貌で隊士を見回した。

「全員なおれ。解散じゃ」  坂田副長が解散を命じた。

  諸所に隊士と幕軍との交歓がはじまっている、草風隊士も貫義隊士の

姿も混じっている。小者たちが炊飯の用意を始めると、数名の隊士が手助け

に加わった。死線を共にした男たちが身分を越え胸襟(きょうきん)をひらいてい

るのだ。  「凌霜隊長殿に申しあげます。ただちに軍議においで頂きたい」

  伝習隊の若い士官である。大広間では今後の軍議が始まっていた。

「壬生(みぶ)藩が政府軍に寝返り、安塚方面に兵を進めているとの斥候の報告

がござる。方々の意見を拝聴したい」

  大鳥圭介が宇都宮南方の壬生藩の情報と西南の安塚方面の情勢を語っ

た。 「この城に籠もり徹底抗戦をいたす、これはわたしの戦略です。日光口

より会津の救援軍を待って反撃いたせば、勝機はいくらでもござる」

  役者のような端正な顔で土方歳三が自説を述べた。京洛を震いおののかせ

た新選組副長の土方歳三の眼光が鋭い。

「参謀殿と同意見、されど城の確保は籠城のみでは不可能。直ちに壬生、安塚

の敵勢を一掃する必要がこざる」  伝習第一大隊長の秋月登之助が出兵論を

述べた。 「日光に籠もり戦い抜く、これが大林寺での規定方針であった筈。

だが今は積極戦術も大事にござる、秋月大隊長の意見に従いたい」

  大鳥圭介が珍しく積極策を論じた。

「拙者は反対にござる。我が会津はまだ戦備がと整ってはおりません、この城の

死守が急務、いたずらに戦闘区域の拡大は兵力の損耗(そんもう)を意味いた

す」 会津の柿沢勇記が反論を唱えた。延々と議論が沸騰し出戦の結論に到達

したのは夕刻であった。この時の浪費が幕軍に致命傷を与えることになる。

  壬生藩の装備は刀槍、火縄銃の旧態依然としたものであったが、ようやく

援軍として河田佐久馬率いる因幡(いなば)藩と、その付属部隊の松本藩の兵が

集結を終え増強が図られていた。政府軍は新手の増援部隊を壬生に派遣した。

その中に因幡山国隊のような歴戦の部隊も合流していた、山国隊は近藤勇の

率いた甲陽鎮撫隊を破り、分捕った最新式の銃を装備していた。

  政府軍は精鋭の二百五十名を安塚に先鋒隊として進出させるまでに回復し、

さらに土佐の正規軍のなかから、数小隊を壬生に急派した。

秘録 凌霜隊始末記(1)へ





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Last updated  May 23, 2007 08:20:01 AM
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