大阪の病院にはいかない、治療はもういい。。。? ⑧ 完
先日の続きです。そんなこんながあって、私からの話を聞いて、米村先生が気にかけてくれていることを知り、単純に嬉しかったようです。即、外来予約をいれて、実際、半年ぶりに大阪へ。僅かばかりの時間での診察でしたけど、ご本人、なんだか嬉し気でした。なんかめでたし、めでたし。。。みたいな流れでしたね。ですが、この20日後、透析を受けているクリニックで胸水の指摘が。胸水って、胸膜に癌が転移しても出てしまいますが、栄養不良でも出るので、少量だと区別がつきません。慌てて、大阪の病院へ行くと、胸水そのものは大したことはなかったのですが、肝臓に幾つもの大きな腫瘍が認められました。更に、ここにきて痛風で足が腫れあがってしまって、痛くて歩けなくなり・・何度となく行ったり来たりを繰り返し、入院となりました。痛風は治療で改善傾向になりましたけど、肝心の癌の治療はできる状況にはなく・・それでも米村先生は治療、考えてましたよ。考えることはやめませんでしたね。透析患者さんに治療って、実際は、難しいのです。単純に言えば、入れた薬を翌日出してしまうようなものですから。日に日に弱っていく父親を傍で見て、娘さん方は、地元でのホスピスを検討し始めます。もう、どうすることもできないと、素人でもわかるほどであり、この現実を受け入れなければならない状況でしたから。そして、さりげなく転院話を父親に話します。すると、 ここを離れたくない、 転院なんてしたら、 もう米村先生に診てもらえなくなると、きっぱり。本人はまだまだ戦う気持ちでいたのです。米村先生の傍にいたかったようです。以前は怖いと言っていた治療ですし、行こうとしなかった病院です。ですが、最後の最後に選んだのが行こうとしなかった病院での怖いと言っていた「治療」でした。ですが、残念ながらもうどうすることもできず・・しばらくして、旅立たれました。この患者さんには、透析という、いたし方ない事情がありました。やっと行った治療では、アレルギーが出てしまいましたし・・結果的に、術後の治療ができなかったことがやはり残念だったと思いますが、それでも、余命3か月と宣告を受けたままでは、絶対に存在しなかった穏やかで幸せな時間が少しの期間であっても、作れたこと・・・これが救いです。残された娘さん方には、今後の人生において糧になってくれるでしょう。父親が残してくれた絶対無二の宝物です。完追記家族からは感謝の言葉を頂いています。それでもいつも米村先生は言います。 僕は、病気を治したかったんやって。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。