映画感想メモ(2016.4月)
最近、塩抜きダイエットの真似事をたまにしてるんですが、今まであまりにも塩に塩をかけるような食事ばかりしてきたせいか、夜食に茹でただけのセロリとブロッコリーに何もつけず齧ってたら急に野菜本来の甘みを感じ取って美味く感じるようになり、「私…<野菜本来の甘み>とか言うようなキャラじゃないのに…!」と自分が怖くなっています。こんにちは。レニー・エイブラハムソン『ルーム』 (2015年/カナダ・アイルランド/118分) 見知らぬ男に誘拐監禁された女性が犯人との間の子を出産し、成長した子供と協力して逃げ出し、心からの「脱出」を達成するまで…という、実話をベースにしたフィクションの映画化。性暴力を受けた女性が、その結果生まれた子供によって最終的に救われるという要素を『サラエボの花』よりさらにフィクションとして洗練させた作品です。 非常にアメリカ的というか、親子関係もあくまで元来は対等であるという前提でママがジャックにものを説明し、二人は共通の体験を乗り越えた生存者であり、被害者に「落ち度」はなく、子供は独立した尊厳を持つ存在だという認識が前提にあるのでストレスがない。 これを観る直前に『海よりもまだ深く』の予告編が流れていて、そこで樹木希林が「幸せは何かをあきらめなきゃ」と息子と離婚した元嫁に言う(多分その後、嵐の夜に元夫が妻子のために何か力仕事でもして父親の尊厳回復でもするんだろうという胃もたれしそうな展開が読める)という大変にコッテリした日本的価値観のシーンを見せつけられていたので救われました。家族観という点では、他にもこういう作品で「離婚した女の新しい男」が作品の良心ともいいい人だというのも高ポイント。 舞台が日本であった場合、ジャックは(最初の発見者が「ただの親子喧嘩」だと判断していたら彼もアウトですが)保護されたとしても母親は助からないだろうなあ…。私が犯人だったらその後、警察が来るまでに自宅に引き返して母親を殺害してから逃亡するか、半殺しにした上で彼女を連れて逃げようとするはずなので、これはあっちでは「見つかれば家宅捜索待ったなし」という社会的合意があるんでしょうか。 個人的に、あの小部屋の中で母親が息子にガチなストレッチを教えてたり、レシピなしにケーキを作っていたのを見て、基礎知識って大事だな…と思いました。いい映画です。 トム・マッカーシー『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年/アメリカ/129分) キリスト教聖職者の一定数が子供を対象にした性虐待を行っている事実を、教会側が長年に亘って組織的に隠ぺいしていた。その事実を、保守的な地域の新聞紙がスッパ抜いた実話の映画化。 元ネタとなった報道はリアルタイムで知っていたけれど、キリスト教会が地域の中に深く深く根を張り、精神的支柱である場でどれほどの衝撃だったかが外野にもわかる作りだったと思う。「今は団結の時だから波風立てるな」への明確なアンチテーゼでもある心強い映画です。 「社会正義を全うすること」を主題に据え、ロジックの積み重ねで検証して断罪する展開が期待できると安心感ありますね。日本だと「そりゃ坊主は稚児を連れ歩くもんだからね」みたいな、「酸いも甘いも噛み分けてますよ」ポーズを取っておいた方が勝ち、といった空気が凶悪に存在するから成り立たない。日本の絶対神「空気」と、教義である「他人様(社会の多数派と強者)に迷惑をかけるな」はいつ瓦解するのだろう。もっぺん焼け野原にならないと無理なんじゃないか。 どうでもいいんですが教会側のエライ人と記者側がプライベートで接近するシーンで何かが手渡されるたびに「韓国映画だったらこの本の間に札束かナイフが仕込まれてるな…」とか考えてしまいました。ショナリ・ボーズ 『マルガリータで乾杯を!』(2014年/インド/100分) 原題は『Margarita, with a Straw(ストローつきでマルガリータを)』。周りで絶賛されている理由がわかった。ものすごく自然に、障がい者であるインド人少女の冒険と成長と家族とのかかわりが描かれていき、タイトルがそのまま女の子の自由と成長を祝福するラストに繋がる旨さを堪能した。アクション大作だけでなく文学的な短編映画も近年目立つインド映画界ですが、軽々とこんな映画も撮れてしまうあたりに見せかけだけではない勢いを感じた。なお主演女優の日本来日インタビューを見たところ、インドでもデスノートって売られてるのか…と謎の感慨を得ました。ドミトリー・グラチョフ 『カリキュレーター』(2014 年/ロシア/86分) 久しぶりのロシアSF。大作路線かと思ったら『ドウエル教授の首』テンションのB級サバイバルSFだった。1984をベースにしたようなよくあるディストピアやCGが若干安いのはご愛嬌として、淡々とディストピアを受け入れて何考えてるのかわからない感じの登場人物たちにはSF映画本家本元たるソ連映画の流れを汲んでいることを伺わせてストレスがない。ノーランのあのコルホーズを説明するにしてももっと方法あるやろと言いたくなったSF映画(嫌いすぎてタイトル忘れた)の冗長さに比べたらぜんぜんマトモなペース配分。 『進撃の巨人』の一巻が出た頃「諸星大二郎の世界観で少年漫画のアクションをやっている漫画」とどこかで書いた記憶があるけど、この映画はどっちかというと諸星大二郎をそのままソ連で映画化したような感じです。こう、普通は描写するだろっていう肝心な感情の動きや説明を勢い良く飛ばしていくノリが近い。小休止の時に入るアネクドートが伏線になっているのもいい。 本格派のつもりで何かがズレてる麻薬のようなソ連SFの展開を正統に引き継いではいますが、ソ連時代の全体主義への皮肉が細部に入り込んでるあたり、今のロシアでなければ撮れなかった作品だと思います。マリエル・ヘラー『ミニー・ゲッツの秘密』(2015 年/アメリカ/101分) 原題The Diary of a Teenage Girl。 『ゴーストワールド』と対にしてもいいようなサブカル女子の逍遥。大学時代だったら歯を食いしばりながら観ていたと思う。 いわゆるサブカル男子に好かれるヒロイン、つまり『100日のサマー』や『エターナルサンシャイン』のヒロイン達のような、「自信がない俺を都合よく連れ出してくれる変わり者で<男の趣味を理解してくれる>女の子」って類型があるますが、あれって最終的にヒロインの自己都合で主人公が振られるのがさも女性の自立のように描かれるのが昔から腹立たしかったんですよ。男子側からしたら黒歴史クリーナーみたいなもんだから。「過去の自信がない俺を変えてもらって、良心の呵責なくそいつと切れられて、強くてニューゲーム状態で次の恋愛を始められる」ってオチがつくわけです。すっげえ都合よく利用してるのに「俺らの夢」だの「女子の自主性もちゃんと理解してるでしょ」ってポーズだのに使っててマジでさもしい。そういった都合のいい内省ポーズと比べると、大丈夫かお前はと止めたくなるようなこの主人公の迷走は、恥ずかしさや無思慮や残念さも丸ごと曝け出していて、その一点で気概を感じる。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『レヴェナント 蘇りし者』(2015年/アメリカ/156分) 3時間ぶっ続けでディスカバリーチャンネル!ハードな演技!またディスカバリーチャンネル!信仰心の寓意っぽい美麗映像!ディカプリオいじめ…いやハード演技!!!(以下繰り返し)……という感じでとにか大自然と体力勝負な演技をミルフィーユ状に詰め込みまくった映画です。元ネタ(アメリカでは忠臣蔵みたいな扱いの事実)が同じだから大筋は『荒野に生きる』まんま。 これ、一日に数時間しかないマジックアワーだけに絞って撮影されたそうで、驚異の全画面ピント合いまくりな荘厳映像なんですが、ストーリーまで全部のピントを同じにする必要ないやろーというのが率直な感想です。 撮影手法にこだわりすぎてて「全部自然光で、実話と同じ順番でスタントなしで撮ってて凄いやろ」というドヤ顔がチラチラ見えるというか、これって「手書きの履歴書に誠意が宿っている」「クックドゥを使わない飯の方が愛情がこもってる」的な気持ち悪い搾取を含んだ信仰を感じる。でもここまでされたらアカデミー賞も出さざるを得ないだろうな…。馬の腹割いて暖をとるシーンは最近『馬馬と人間たち』で観ていたので、このままレオ死ぬんちゃうかと心配になりました。 人間的細やかさはトム・ハーディが抑制のきいた悪役演技で補完してました。ディカプリオの役が、白人がネイティブアメリカンへの仕打ちに対して良心の呵責を感じずに済むような「俺は良い白人です」という感情移入対象になってるあたり、アカデミー賞専攻委員の白人男性集団へのおもてなしを感じる。リッチ・ムーア/バイロン・ハワード『ズートピア』(2016年/アメリカ/108分) ジェンダー、エスニシティ、信仰、加害の歴史、レッテル貼り、差別構造を全部わかりやすくブッ込んで子供達に見せつけ、差別してしまった側の謝罪の方法まで紹介したうえで「それでも手を取り合うことができる」と爆音で踊らせながら教えるような作品。アメリカの小学生たちはこんなものを大量に吸収しながら大人になるのか、と震えた。 おそらくネトウヨに代表される「優遇借地が消える恐怖と被害者意識から来る差別心」を表現するのに必要なエピソードもあるんですが、このあたりも日本では「マイノリティは僕らを嫌な気持ちにさせずに教えるべき」的な受け取られ方をされそうな感じがあり、そのへんは実にモヤモヤしました。副市長の扱いは議論のベースにするための布石だろうし。 イソップ物語などで古くからキツネ=狡くて人を騙すキャラクターとされてることがニックを始めとしたキツネたちへの現実の差別となっている構図は、フィクションが現実の暴力になり得ることがとてもわかりやすく示されていたと思います。普段から「○○人はすぐ裏切るからw」「どこそこの観光地は○○人ばっかりで嫌だったww」と話している職場の人たち(聞いててとてもストレス)を劇場の座席に縛りつけて観せたい。どうせわからないだろうという絶望があるけど。 観終わってから、ズートピアの肉食動物たちが何を食べているかが描かれていないことが気になり、サルもあんまりいないしやっぱり人にk…と言いかけたら「ピザちゃう?」と即答されたのが個人的にジワジワきています。本当に何食ってんだろう。 あと森川智之のキツネ吹き替えは反則です。