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先日、「京都が苦手という人、初めて聞きましたよ」と大層おどろかれた。それもあって2,30分足らずの人に。やっぱり、こういう場違いな場所に私は顔を出すべきでなかったと後悔した。
数日前の出来事。 私にしては珍しく個人のギャラリーで行われている作品展を見に行った。 そのときに雑談で「私はどうも京都が苦手というか、どちらかといえば嫌いに近いかも・・・」といったことに対して目を丸くして言われたことだ。 そうだな、嫌いというのは端的だが、あの人混みは嫌いだし、京都というステータスを見に来ているような人が沢山の雰囲気は嫌いだな。 でも、京都という街の作りそのものは好きだ。ゆっくりみる機会があれば是非行きたいと思うが、いまの人の気配となにかの思念がわらわらと漂うな雰囲気を体が拒否することがあるのだ。 その土地に歓迎されていないのかもしれない。。。と思うこともある。 いや、まれにそういうところがあるんだよな。オカルトちっくな話だけど。 自分はおばけなんて信じてない。信じないようにしてる。単に神社仏閣の建物を見たいだけなのに、どうしてもそれ以上前に進めない。無理してすすもうとすると頭痛やら眩暈やら・・・よくわかんないよ。でも、そういうところがある。あとは急に襲ってくる恐怖感とか。 そういう時は現金1億円がいけば間違いなくもらえるという確証がない限りは先にすすまない。偶然や気のせいかもしれないが、そういうなにかがある。 それが京都だったりするのだ。京都のどこでもではないのだけど。。。。 でも、そんなことを話す意味もないしつもりもない。理解してもらっても解決する問題でもない。だから嫌いという言葉に集約されるも。。。頭が悪いな、本当自分。「嫌い」は不適切だと思ったが、まぁ、後の祭りだ。 京都は確かに世界中の多くの人が集まる場所。 魅了されるのもわかるんだよ。 でも、その魅了されるのは必ずしも善を身にまとう人だけではないはず。 でも、確かにいいところも沢山ある。 行きたいところもある。 ただ、京都はそのカンがすごく鈍る。 そんな気がする。。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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