先日、空港のラウンジで手にした、GRANという雑誌に、ロンドンとパリとを結ぶユーロスターについての記事があり、目にとまった。ユーロスターと言えば、パリ滞在中、ドーバー海峡の海底を、パリ北駅とロンドン・ウォータールーとの間で、何度も往復したものである。私にとってのウォータールーは、ロンドンの玄関口であるが、それと同時に映画『哀愁(1940)』の舞台としても重要な場所である。(写真:1969年公開時のパンプ)
しかし、その雑誌の記事から、今やウォータールーはロンドンの玄関口ではなく、セントパンクラスという駅がそれに変わっていることを知る。それは、私には全く聞き覚えのない駅であったが、『ハリー・ポッター』でも有名な、キングス・クロス駅の隣駅であるらしい。そして、この新路線の開通により、従来、在来線の路線を使用していた時間が大幅に短縮され、今やロンドン、パリ間は、最速2時間15分で結ばれているそうである。
時代の流れとはいえ、複雑な気持ちにもなる。定かではないが、私が使っていた当時は、ノンストップで2時間40分くらいだったろうか。ウォータールーに入線した後、一斉にホームに降り立った乗客は、スロープを下りて、横一例に並んだパスポートコントロールのホールに長蛇の列を作っていたが、その光景も思い出されてくる。そこを通過すると、地方空港での出迎えのような光景を目にするが、それを横目に、足早にアンダーグラウンド(地下鉄)の路線を目指していた私である。
さて、ウォータールーと言えば、まずは"WATERLOO BRIDGE"。映画『哀愁』の原題である。書くまでもないだろうが、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー主演の、美しくも哀しい物語だ。監督は、『心の旅路』(こちら)が印象に残る、マービン・ルロイである。テーマ音楽である「別れのワルツ」の哀しさには胸が熱くなるが、「蛍の光」がその曲だったとは子供の時分には知る由もない。
その『哀愁』が、日本で公開されたのは、戦後4年が経った1949年のことである。有楽町のスバル座の文字も入った、復刻版のパンフレットからは、公開当時の戦後日本の状況が窺がわれ、印象的である。そこに書かれている文章を引用すると、「敗戦とインフレ、昼間のショッピングセンタが夜一人歩きできない色町と化すのを有楽町の一角に見るではないか。」とある。戦争によりもたらされた悲劇と苦難、その『哀愁』に描かれた世界が、現実の東京に見られることに、筆者は溜息を漏らしている。
映画は時代の影を映すものである。戦後半世紀以上もたった現在、なかなかそういう背景を意識して映画を観るのも難しいが、その部分を理解できると、単なる美しく哀しい物語という一線を越えられるのかもしれない。公開当時のパンフレットに書かれた文章をあらためて読むことで、違った見方に気付かされるのである。少なくとも当時の人々にとっては、より身近な戦争悲劇として心に残ったことだろうと思うのである。
さて、映画のタイトルとなっているウォータールー橋は、確か冒頭のタイトルが現れるところでも、全景が映されていた記憶がある。第1次世界大戦から第2次世界大戦という時代背景もあり、映画の中では、当然、石造りの橋である。
しかし、現在ある姿は、まるで違う(下写真)。その橋の姿からは、映画を連想することは、困難である。まさに自分だけの世界である。ウォータールー橋をバックに記念写真を撮ってもらったのだが、テムズ川の流れやビッグベンではなく、ウォータールー橋であることに、お願いされた人も不思議そうな顔をされたのが印象的である。
実はウォータールーを初めて訪れたのは、フランス赴任に先立つこと10数年、1991年のことであった。1ケ月ほど滞在した、イギリス北部の町、ダーラムから日帰りで訪れた。写真も当時のものである。しかし、当時、このウォータールー橋の近くのサウスバンクに、映画ファンとして是非とも訪れるべき場所があったことを、知らない。
その場所こそが、映像博物館Museum Of the Moving Image、通称MOMIである。世界の映画史を語るその博物館のことは、今は亡き淀川長治さんも、ご自身がロンドンを訪れた思い出として、後に絶賛されていた。それは、御茶ノ水のアテネフランセで開かれていた淀川長治映画塾だったか、東京タワー前の機械振興会館で毎月開催されていた、映画友の会だったか、定かではないが、パリに赴任して後、そのことを思い出したのである。
そして2003年6月、12年ぶりにウォータールーの地を踏むのである。駅を出て、一路、MOMIを目指した私であった。不思議なことには、行き先を示す案内にMOMIの文字を見なかったのであるが、予め頭の中に入れていた方角を目指し歩いたのである。
そして、目標の場所あたりの建物の壁面に、ベティ・デイビス、ジュディ・ガーランド、三船敏郎、クリストファー・リーブ、....と、大きな写真が目に飛び込んできた(下写真)。往年のスターをこうやって見るのは、それだけで嬉しい気分になるのだが、そんな気分のまま、あたりを歩き、博物館の入り口を探したのである。
なかなか見つからないので、映画館の入り口らしきところに行き、尋ねてみるが、返ってきた言葉に愕然とする。"It's closed!"。 信じられなかった私は、さらに"When?"と問いかけるが、"Few years ago."と返ってきたのであった。事実、MOMIは1999年、つまり私がパリに赴任する以前に、クローズしていたのである。この瞬間、私にとってのMOMIは幻と終わった。
12年ぶりに訪れたウォータールーは、人と活気に溢れていた。この時、目の前に、巨大な大観覧車が出現していることに驚いた。そのブリティシュ・エアウェイのロンドン・アイ(関連ブログ)は、順番待ちの長蛇の列が途切れることはなかった。それはクローズしたMOMIとは対照的に思えたものである。