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2008.11.23
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カテゴリ:ヨーロッパ紀行

2002年11月21日夕刻、スウェーデンのストックホルムとフィンランドのヘルシンキとを結ぶ客船、バイキング・ラインVIKING LINEの中での顧客とのミーティングは、その出航と共に始まる。(右写真:バイキング・ラインの部屋のキー)

広い船内は10フロアくらいあったように思う。そのうち、客室フロアは4フロアくらいあり、客室はフロア内の通路を挟んでビッシリと配置されていた(下左写真:客室フロアの通路)。客室はかなりの数で、ちょっと想像は付かないが、1,000室以上あることは間違いないように思えた。

私の部屋は、定員2名の海側に面した部屋で(下右写真)、窓が一つ、そしてベッドが2段になって収納されていた。一見すると、寝台車のようでもある。もちろん、シャワーとトイレも部屋に設置されていたが、その境界は床までパーティションされていないので、シャワーを使うとトイレの床までビショビショになった。

     バイキングラインの船内

そしてミーティングルームであるが、それら客室の上のフロアに設けられていたように記憶している。フロアには、複数のミーティングルームがあり、その中の一つで私達のミーティングは行われたのである。テーブルを挟んで、顧客と私達、互いに5~6人が向かいあって座り、顧客が窓を背にした。そのため、私達の目の前、窓の向こうには、ストックホルムの景色が流れていき、やがて陽が落ちるのも確認できた。

そんな雰囲気の中で行われるミーティングは、実に友好的なムードである。プロジェクトの進捗と課題、そして今後のスケジュールについて確認されると、打合せは終了し、あとはディナー、そしてナイトライフを楽しむ時間となる。船内でのナイトライフは、バー、ディスコ、カジノ、ショーなどである。グラスを手に、ショーを見て楽しんだが、何を見たのかもう記憶にない。

船内には、広い免税店もあったが、ここでTAX FREEの買い物が出来る。そのことは、フィンランドの顧客にとっても、大きな楽しみの一つであったようである。ワインだったか、両手にDUTY FREEの買い物袋を提げていたのが、印象的であった。

ストックホルムを出航した船は、スウェーデンの島々を縫うように航行する。周囲の景色は真っ暗なので、航路を示すモニターを見て現在地を知るのみであるが、その航路は、星屑のような小さな島々を縫うように走っていた。暗闇の中、遠くに、灯りの点を認めることで、島々の間を走っていることを実感するのであるが、やがてその灯りも無くなると、船はいよいよバルト海に漕ぎ出す。

途中、一回寄港したが、今調べてみて、それがバルト海に浮かぶ、オーランド島マリエンハムンMarienhamnという港だったことを知る。オーランド島は、フィンランドに帰属する自治領であるが、公用語はスウェーデン語という。そこには、戦争によってその領土が翻弄された歴史が垣間見えるのだが、興味深いのは、オーランド島が、スウェーデンへの帰属よりも、フィンランド領下での自治が維持されることを好ましく思っていることである。

さて、顧客とのナイトライフを楽しんだ後、部屋に戻って寝る前に一度デッキに出てみた。外に出た瞬間、バルト海の海風は容赦なく吹きつけ、とても冷たかった。見渡す限り、海上に灯りは見えず、きっとバルト海のまん中を航行していたのだろう。暗闇の中、震えながら記念写真に収まったのであった。

一晩寝た翌朝、窓の外を見ると、船はフィンランドの沖合いを陸地に沿うように航行しているのが分かった。そして、航行の最後にクライマックスを迎える。レストランで、進行方向窓際に席をとり、朝食をとっていた私達の眼前、徐々に陸地が近づいてくる。そこはヘルシンキ湾の入り口で、最後のアプローチであるが、その静かに湾に入っていく船からの景色は印象的であった。

その湾の入り口にある島々、そこはかつて外洋から侵攻してくる敵船に対する軍事的要塞として機能していた。今でもその遺構は残り、スオメンリンナSUOMENLINNAの要塞群として、世界遺産に登録されている(ちなみにフィンランド語で、フィンランドのことはスオミSUOMI。つまりSUOMENLINNAとは、フィンランドの要塞である)。船から目にした光景は、まさにその要塞で、その島の周囲には石垣が張り巡らされていたのである(下写真)。

   スオメンリンナ要塞

スウェーデン、ロシアの大国の狭間にあったフィンランドは、両国に支配された歴史を経て、20世紀の始め、ロシア革命の混乱に乗じてロシアからの独立を果たす。この要塞も、18世紀にスウェーデンが対ロシアの要塞として築いた後(作業に従事したのは支配されていたフィンランド人)、ロシアの要塞となり、最後にフィンランドの要塞となった歴史を負うことになる。独立後、スオメンリンナと改名されたその名は、フィンランド独立の記念碑的な意味もあるのであろう。

実は、初めてヘルシンキを訪れた2001年6月、私はヘルシンキの港に立って、スオメンリンナを訪れたいなあ、と湾の出口の方向を眺めていたのである。それが、この日、思いもかけない形で、目の前に現れたので、息をのむ想いで、船上から目に焼きつけたのであった。

船がヘルシンキの港に接岸するまでは、それからさほど時間はかからなかった。ゆっくりと湾内を航行すると(下左写真)、正面にへルシンキの市街地、そしてシンボル的な建造物、白亜のヘルシンキ大聖堂が目の前に飛び込んできた(下右写真)。その右手には、赤レンガのロシア正教の寺院、ウスペンスキー寺院があり(同)、それらの建物が近づいてくるのをやめると、このミーティング・イベントも終わりである。

    バイキングラインからのヘルシンキ

11月22日のヘルシンキは雪景色。顧客とは、バイキング・ラインのターミナルでお別れし、私達も同じ日の飛行機でヘルシンキを後にしたのである。こんな経験は、二度と訪れることはないだろう。そんな貴重な体験をさせてくれた顧客には本当に感謝したい。






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Last updated  2008.11.23 22:47:29
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