|
カテゴリ:ヨーロッパ紀行
ベルギー・アントワープでの休日、マルクト広場で寛いでいた私達が、次の目的地、アントワープ王立美術館を訪れた時には、既に16時を過ぎていた。マルクト広場でカフェに入った時には、余裕があったつもりだが、気が付けば、美術鑑賞する時間は、2時間と無かったのである。 昼食を終え、マルクト広場から再び大聖堂の前に出て、ルーベンスの像の立つフルン広場にやってくると、トラムの停車場でホーボーケン行きのトラムを待った私達である。しかし、その路線番号を掲げたトラムはなかなか来ない。そして、待つことを止めると、15分ほど歩き、漸く王立美術館へと辿りついたのであった(右写真)。 因みに、そのホーボーケンとは、小説『フランダースの犬』ゆかりのアントワープ郊外の街。そこは、ネロ少年と愛犬パトラッシュが住んでいた街であり、少年とパトラッシュの像も立っているそうである。しかし、そこを訪れるのは今回の旅の目的ではない。大聖堂でネロ少年が最期に目したルーベンスの絵を見た後でもあり、それを期待していた感のあった家内は、「あっ、行かないんだ」と、ちょっぴり残念そうではあったが、時間的にも無理であった。 アントワープ王立美術館は、そのホーボーケンに至る途中に位置する。とは言っても、少年と犬が歩いた全ての道のりに比べると、私達が歩いたのは、ほんのわずかの距離である。この美術館を訪れることは、私がアントワープを今回の旅の目的地に加えた、一つの大きな理由でもあった。 アントワープの至宝、ルーベンスが描いた祭壇画は数多い。ルーベンスは敬虔な信者でもあったという。宗教戦争の後、パリから故郷に戻ったルーベンスは、荒廃したアントワープの教会、そして人々に希望をもたらすため、多くの絵を描いたそうである。そして、ここアントワープ王立美術館には、それら祭壇画の多くが展示されている、世界最大規模のルーベンスの展示室があるのだ。 2フロアある美術館。しかし、限られた時間である。企画展のあった1階展示室には目もくれずに、迷うことなく、『美の回廊』と呼ばれる2階の展示室へと階段を上がるのである(下左写真)。そして、クライマックスであるルーベンスの部屋へと導かれたのである(下右写真)。
天井がとても高いこの美術館は、まさにルーベンスの描いた巨大な祭壇画を収めるために作られたかのようであるが、それが事実であることを後に知る。ここには20点以上のルーベンスの作品が展示されていた筈であるが、いずれもがとても大きい絵である。しかし、それらの絵は幾多の受難を経て、この場所にあったことをこの時、知る由もなかった。 それはアントワープ大聖堂にあった、『キリスト昇架』と『キリスト降架』(こちら)の運命とも重なる。ナポレオン・ボナパルトの侵攻により、多くの祭壇画がフランスに運ばれたことは、以前にも記したが、それらが約半世紀後に返還された時には、戻るべき教会が無くなっていた絵も多かったようである。 それらの絵が最終的に落ち着くのが、1890年に完成した、このアントワープ王立美術館であり、それは市民の願いだったということである。そして、ルーベンスの祭壇画が集まった、部屋は、まさに信仰の象徴、教会に替わるものとも言えるのだろう。 ルーベンスの部屋の中でも、特にインパクトを感じた絵の一つは、三人の賢者が誕生したばかりのイエスを訪れるシーンを描いた『東方三博士の礼拝』(下写真左)。中央に立つ賢者の見開いた目、そして立つ姿も、ルーベンスらしく、何か力強い。そして、その隣の『聖フランチェスコの最後の聖餐』(同中)は対象的に神秘性を感じるのだが、この絵こそが、ここアントワープ王立美術館の至宝的作品なのである。
ルーブル美術館で行われたナポレオンの結婚式、それを描いた絵の中にアントワープから略奪したルーベンスの絵も2枚見られるのであるが、『キリスト降架』と共にその結婚式の場に飾られていたのが、この『聖フランチェスコの最後の聖餐』だったのである。当時から、この絵がいかに至宝だったのかが、その事実から窺えるのである。 実は、まさにその至宝の1枚を見ることも、私がここを訪れた最大の目的でもあったのだが、日本を発つに当たって、その絵を良く確認していなかった。従って、恥ずかしいことだが、この絵を前に立った時、その絵こそが私が会いたかった絵であることに気がつかなかったのである。 が、とにかく、ルーベンスの絵には圧倒されるばかりであった。その1枚1枚をカメラに収めることをしなかったのであるが、今思えば、もっと個別に正面からしっかり、カメラに収めておくべきだった。 ところで、アントワープの画家といえば、ブリューゲルも忘れてはならないだろう。この美術館には、ブリューゲルの絵画も数点あり(下写真、右上)、そしてアムステルダムやマウリッツハイスでも見た静物画なども数多くある。宗教的なものも非常に多いが、それは前述の背景にも重なるのだろうか。また、絵画の修復をしている場所も公開されていて(同、右下)興味を惹かれた。
さて、閉館まで残り25分ほどの時間になったところだったろうか、ちょうど2階の一番奥の部屋にいた時だが、美術館の方がやってきて、「あと15分で閉館します。それまで、ゆっくり見てください。」と告げ、去っていった。しかし、それも奥の方から徐々に、出口に押し出していく、そういうことだったようである。 時間を意識しながら、2階を巡り、最後、2階美の回廊の入口のところまでやってきたところで、もう一度、見納めにルーベンスの部屋に行き、記念写真でも撮ろうと思った私である。しかし、そこに至る通路には、係の方が2人立ち塞がっていて、もはや出てきた部屋に後戻り出来る空気ではなかった。行こうとしたところで、拒否されるのは目に見えていた。 1階に降りると、最後の楽しみはやはり、ミュージアムショップ。閉館まで残り10分あった筈だが、ショップに入ると店員さんがクローズの合図をする。それが掟だったと気付いた時にはもう遅く、結局、ポストカードの一つも買うことが出来なかったのだが、それはアムステルダム国立美術館でも経験したこと(こちら)。そういう形で、最後の美術館を後にするのも、今回の旅を象徴しているようで、相応しいではないか。。。 どっぷりとルーベンスに浸かった、アントワープの休日はこれで終了するのである。(まだ、つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.03 00:49:34
コメント(0) | コメントを書く
[ヨーロッパ紀行] カテゴリの最新記事
|