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2009.12.11
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カテゴリ:日本の城と城下町

11月1日、降りしきる雨の中、訪れた播磨の小京都、龍野。その目的は、茶室「聚遠亭(しゅうえんてい)」で頂く、一服300円の抹茶休憩。それは、旅の途中で立ち寄る、コーヒー一杯の休憩と何ら変わらない、正直そういう感覚で、そこを訪れたのである。しかし、そこで過ごす時間は、思わぬ展開を見る。それについて記してみたい。

その日は、もともと城歩きを予定していたこともあり、私も家内もカジュアルな格好であった。私はライトブルーのスラックス、家内もウールパンツに身を包んでいた。そして、お茶会でもあるまい、懐紙や扇子などを入れた数奇屋袋を車に残したまま、貴重品だけ手にすると、茶室へと向かったのである。

途中、着物姿の女性とすれ違ったりもしたので、何かお茶会でもやっていたのだろうか、と思ったのであるが、訪れてみて少し様子が異なることを感じる。茶室は、江戸時代末期、孝明天皇から授かった「聚遠亭」と、その先に裏千家15代、千玄室・大宗匠が命名されたという「楽庵」の2つがあり、「楽庵」の方でお茶会でもされているような雰囲気だったのである。

「聚遠亭」のところにある受付に赴くと、そこにはお茶会と同じように、記帳用の和紙と筆が用意されていたので、「あれっ、今日はちょっと違ったのかな?」と思わず不安になる。そして、「抹茶を頂けますか?」と思わず尋ねると、2つ返事が返ってきて、さらには「1人300円です。」と言われたので、とりあえず、正しい場所に来たことだけを確信する。

そして、準備が出来るまで、「聚遠亭」に上がって、暫く待つこととなるのだが、そこが言わば、待合となった感じである。そこには、地元の方と思しき先客の女性が1人いたので、挨拶をし、さらに「何も持ってきていないのですが、大丈夫ですか?」と、尋ねてみる。そして、「大丈夫ですよ」と、その方が答えてくださったので、まずはホッとしたのである。

「聚遠亭」からは庭と池を臨み(下左)、実に落ち着ける雰囲気である。その時間、雨の降る音と、木々の葉が雨に濡れる音だけが響いていて、静寂である。そこで待つ間、確か白湯を頂き、すぐ隣の部屋にある茶室を拝見させて頂いた。薄暗い茶室、その床は歴史を感じるもので(下右)、床畳の前端にあたる、床框(とこかまち)の剥き出しの木の凹凸、それが印象的であった。そして、床の掛け軸は、松の画だろうか、そこに禅語が添えられているように見えた。また、待合の掛け軸もまた、文だろうか、異なる趣で興をそそられるのであった(下中)。

 龍野衆遠亭2

さて、まだ中高校生と思しき、着物姿の女性が、襖を開け、準備が出来た旨を告げると、私達も、「聚遠亭」から、「楽庵」へと移動する。「楽庵」の茶室の外には、既に7~8人ほどが席を待っていて、その中に、私達も混ざり、そしてやがて席入りとなる。順番に部屋に入るが、目の前にした茶室の光景に驚く。なぜならば、そこにあったのが正真正銘のお茶会の光景だったからである。(下左:衆遠亭の飛石の向こうに楽庵、下中:楽庵へのアプローチ、下右:千玄室筆の扁額)

    龍野衆遠亭の楽庵

一服300円の休憩のつもりが、お茶会の席についているという状況に、びっくりし、一方で、手ぶらで参加してしまっている状況に恥ずかしくもなるのであった。茶席に入るにはあまりにカジュアルな格好で、白い靴下も履いておらず、しかしそれでいて、二客、三客の位置に勧められて座ることになる。それでも、主菓子が運ばれると、すかざず待合で一緒になった女性の方が、お運びの方に、懐紙と黒文字とを用意してくれるよう、お願いして、助けてくれたので、嬉しかった。

そして、それからという時間は、ゆったりと豊かなものとなったのである。緑鮮やかな永楽の菓子器に盛られた主菓子は、"きんとん"で、しっかりした御菓子。正客の茶碗は赤楽、そして二客の私が頂いた茶碗は永楽と言われたか、鳳凰が描かれていたように思う。そして、三客の家内が頂いた茶碗は赤い斑点模様が特徴的な、朝日焼。

大ぶりな薄器は、美しい蒔絵の施された棗。しかも、それが実は竹で出来ていて、蓋のところにちょうど節の凹みがあるのを、言われてみてそうと確かめたのであるが、それは私達にとっても初めて目にする類のもの。そして、桜の木で作ったという、重量感のある茶杓。それにも蒔絵が施されており、しかも節の位置が根元だったか、あるいは無かったか、忘れてしまった。

そして、この日、初めて耳にしたのが、『おりべ(織部)、ふくべ(瓢)、いんべ(伊部)』の"さんべ"の取り合わせ。11月の初日でもあったこの日、茶の湯では口切の月で、謂わば正月のお目出度い日。瓢箪である瓢(ふくべ、ひさご)は、縁起の良い物で、3つ揃えば三拍子、6つ揃えば、無病(六瓢)息災という。そして、口切の月に、"さんべ"が取り合わされることを、この席で知るのである。

その取り合わせが何だったかというと定かではない。瓢は香合、織部は煙草盆の火入だったろうか。そして、"いんべ"が備前焼のことであることも、この時知るが、おそらく水指がそうだったろうか。さすがに、メモをしていないと、忘れてしまう。しかし、多くの珍しいものを見せて頂き、そして新しく知ることも多かった、そんな時間であった。

最後、退席するに当り、亭主の方に、いい加減な格好で参加させて頂いたことを詫びたのであるが、逆に旅の途中で立ち寄ってくれたことに感謝して頂いた。まさに一期一会の時間、豊かな気持ちにさせられたのである。

ほんの抹茶休憩のつもりで立ち寄った龍野。そこに滞在した時間は、気が付けば1時間を越えていた。しかも、その密度の濃い時間を一人わずか300円で満喫させて頂いたとは、何という贅沢なことだろう。播磨の小京都でのおもてなし、その思い出を決して忘れることはないことだろう。






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Last updated  2009.12.16 11:57:03
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