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テーマ:旅行業界ってどんな所?(266)
カテゴリ:添乗員のつぶやき
8年間の添乗生活では、結構たくさんの有名人に遭遇しました。
中には、これはきっと見てしまってはいけなかったのだろうなという、いわゆる「お忍び」風なものも目撃してしまいましたが、そういうものについてここに書いてしまっては、ブログとしてはおもしろいのでしょうが、せっかくうまくいっている家庭にこんなペンギンのせいで波風がたってしまっては大変!やめておきます。言いたくてたまらないですが...。 飛行機ではエコノミーで遭遇する率はあまり高くはありません。 やはり、ビジネスです。 昔、空港で印象に残っているのは田中美奈子でした。 これは確かオーストラリアのゴールドコーストの空港ではなかったでしょうか。 荷物が出てくるターンテーブルの所で。西部劇のようなブーツを履き、一般の人が待機している場所より一段高い所に上がって、監督のように荷物を見張ってました。彼女も若かった...そして威張って見えました。 私は仕事に熱中しているので気づかずお客様が教えて下さることも多かったです。 「ねぇ、ねぇ、ペンギンさん、今のは○○○だよね」なんて。 いつも堂々としていて、高い遭遇率を誇るのは、なんといっても大橋巨泉さんでした。 巨泉さんは「OKギフトSHOP」というお土産やさんを経営してらして、支店もいくつかありました。 カナダのバンフスプリングスホテルにいらしている時に、たびたびお会いしました。 私の担当していたツアーでも毎回指定店になっていて、ホテルチェックインの前や自由時間にお世話になっていたので、「あ!巨泉さんだ」なんて言うより、お世話になっておりますの挨拶をしていました。 「お世話になります」と言うと、「あぁ、○○○(会社の名前)さんね、どうもどうも、ウッシッシ」という感じで笑ってらっしゃいました。 オーストラリアのメルボルンではゴルフの中島プロにもお会いしました。 集合時間間際にバタバタと客室とロビーを行ったり来たりしていた私が、エレベーターに乗ろうと慌てて手に持っていた上着を落としてしまい、エレベーターが行ってしまいそうになった時「あーー、すみません、ま、待ってー」と飛び乗ると(通常は、こんな恥ずかしい日本人にはならないで下さい)中にいた一人の男性がドアを押さえて待っていてくれたのでした。 「ハァ...ハァ...すみませんでした...」なんて、その男性の顔をフト見ると、中島プロではないですか! 私、焦り「あっ...!!」 ちょうどその時は、かの地でコカコーラオープンが開催されていたのです。 私に「添乗員さん?しかし、大変な仕事だよねぇ...」なんてニッコリ笑って下さり、TVで見るのと違い、うんとハンサムでした。 あげればキリがないのですが、一番ヘンテコだったのが、柄本明でした。 これは、先輩と2名で私がサブでヨーロッパへの14日間初添乗の時。 ウィーンの夕食がフリーで、先輩が私を三越デパートの和食レストランに連れて行ってくれたのです。 二人で天ぷら定食を食べていた時でした。 座って食事をしていると、向こうから何やら見たことのある人が歩いてきます。私はその時その人が芸能人であるということに気づかず、どこかで見たことのあるきっと近所の人くらいにしか思わなかったのでした。 無視したら失礼だなぁ、だけど誰だっただろう、と一応その人に座ったまま軽く会釈をしたのです。すると、その方も私に会釈を返してくれました。 あー、やっぱり向こうも知ってるんだな私のこと...自治会の人か何かだっけなぁ。 先輩は気づかなかったのです。 帰国してからTVに映っているその人をみて、あらやだ柄本明じゃないのと初めて気づきました。あの時は「寅さん」の撮影でちょうどウィーンに来ていたのですね! 調べたら1989年、私が添乗員2年目、海外1年目の新人で、寅さんは41作目「寅次郎心の旅路」で、マドンナは竹下景子でした。それで柄本明は心身症のサラリーマンの役まわりで出演していたのです。 ウィーンに似つかわしくないあのヌボーッとした出で立ちは、そんな役柄のせいもあったのでしょうか? それにしても、古い話だなぁ。懐かしいけど...。 寅さん模型です 北海道から沖縄まで、「男はつらいよ」全48作のロケ地を巡り、心に残った108景を、いきいきとした水彩画で描いたユニークな画文集。 私も旅先の気に入った風景を水彩画で残したくて、新宿の水彩画教室まで通ったんですよ。 ペンでサラサラって書いて、薄く色を乗せるのが好きなんですけどね、なかなか旅先に画材まで持っていけなくて... こんなの持てば、あなたも寅さん気分? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.20 16:19:50
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