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テーマ:城跡めぐり(1238)
カテゴリ:城跡と史跡(岡山・広島編)
福山城は、山陽新幹線の福山駅のすぐそばにあり、駅のホームや新幹線の車窓からも天守閣を間近に見ることができます。
福山駅前に立つと、道を挟んだ向かいにいきなり本丸があり、見事な高石垣が目の前に普通に立っているのでビックリでした。 「打込接ぎ」で積まれた本丸の高石垣。 石垣のあちらこちらに普請の時の刻印が残っており、築城時から現存する石垣のようです。 とても貴重な遺構なのですが、すぐ近くを道路が通ったり新幹線が通過したりするので、永年の振動による石垣の「孕み」が心配です(私が心配しても仕方がないのですが…)。 福山城の本丸の縄張りはこんな感じです。 本丸の入り口には櫓門形式の「筋鉄(すじがね)御門」があります。 本丸天守 五層六階建の層塔型天守閣ですが、空襲で焼失してしまったため、鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。 太平洋戦争前は国宝に指定されていました。 本丸の周囲は土塀で囲まれ、隅櫓が置かれています。 伏見櫓 伏見城から移築されたと言われています。 月見櫓 鏡櫓 また本丸内には湯殿や鐘楼など、あまり城の本丸で見かけない建物が並んでいました。 湯殿 福山城では、真向かいにある駅のホームから、本丸外側の外観を間近に見ることができます。 左から月見櫓と筋鉄御門 手前から月見櫓、鏡櫓、天守。 福山城は、福島正則に代わって備後(広島県東部)に入封した、水野勝成(徳川家康のいとこ)が築城しました。 1619年から3年の歳月をかけて築城し、1622年に完成した比較的新しいお城です。 以後周防・長門(山口県)の毛利氏の抑えとして、徳川家譜代の城主が入城しました。 幕末の1865年、第二次長州征伐の戦闘準備をしていたところ、火薬が爆発していくつかの櫓が焼失したそうです。 さらには太平洋戦争の空襲時には、天守閣や湯殿などが焼失してしまいました。 伏見櫓と筋鉄御門が現存しているのは奇跡だと思うのですが、もしもこれらの建造物が残っていたら、第一級の城郭になっていたことでしょう。 (財)日本城郭協会「日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 06:02:05 PM
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