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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
二の丸入り口の銅(あかがね)門をくぐって、二の丸へと入って行きました。
小田原城は何度か訪れているのですが、何度訪れても興味深いお城です。 二の丸広場 二の丸と本丸の間には堀跡が発掘され、今はその跡が残っています。 内堀跡。当時は水堀だったようです。 堀跡に架かる橋を渡ると、お馴染みの「常盤木門」の櫓門が見えてきます。 常盤木門(外観復元)。 ここが本丸の虎口です。 常盤木門の先には本丸が広がっています。 北条氏第3代の氏康の時代に、ここに本丸を移したようです。 本丸には、これまたお馴染みの、ゾウのウメ子がいます。 ウメ子 そして本丸にあるのが、復興天守です。 天守内部には武具などの展示品の他、北条氏の歴史などがパネルで紹介されており、非常に興味深い内容です。(撮影禁止なので、写真はありません) 天守の最上階からは、小田原城にゆかりのある場所を眺めることが出来ます。 八幡山 伊勢宗瑞(北条早雲)が大森氏から奪取した時代の小田原城は、この八幡山にありました。 今の小田原城よりもずっと規模が小さいものだったようです。 石垣山一夜城 1590年、豊臣秀吉が小田原城を包囲した時に、本陣を置くために築いた城です。 1590年の小田原攻めでは、豊臣秀吉は18万の大軍で小田原城を包囲しました。 他に関東各地の北条氏の城に対し、前田利家・上杉景勝・真田昌幸などの北国軍約40,000が攻め込んでいます。 小田原城包囲陣 錚々たる面々が勢ぞろいしています。 おそらく日本中の戦国武将が集まったことでしょう。 武田信玄や上杉謙信も撃退して難攻不落を誇った小田原城も、豊臣秀吉の前に降伏・開城し、北条氏政・北条氏照は切腹を命じられました。 当主の北条氏直は、徳川家康の娘婿でもあるため、命は助けられて高野山に追放されました。 伊勢宗瑞(北条早雲)から始まった北条5代の関東制覇の夢は、ここに終わりを告げています。 関連の記事 小田原城(その1)→こちら 小田原城「総構」→こちら 石垣山一夜城→こちら 早雲寺→こちら 名胡桃城→こちら 山中城(その1)→こちら 山中城(その2)→こちら 八王子城(その1)→こちら 八王子城(その2)→こちら 鉢形城→こちら 鉢形城北条まつり→こちら 忍城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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