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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(山梨・長野編)
JR甲府駅のすぐ近くにある甲府城(舞鶴城)は、武田氏滅亡後に造られた城郭です。
近くの歩道橋から見たところ 城郭の向こう側に富士山が見えています。 前回訪れた時よりも復元が進んでいました。 山手御門の表門と櫓門 内松陰門(高麗門形式) さらには土塀も復元されていました。 この土塀を見て「あれ?」と思ったのですが、鉄砲狭間と矢狭間の位置が逆? (それとも元々こんな格好だったのでしょうか・・・) 甲府城の石垣は、築城当時のものが残っていました。 現存する本丸天守台の石垣。 積み石は野面(のづら)積みの古い積み方で積まれています。 稲荷曲輪には、隅櫓が復元されていました。 稲荷曲輪。 こちらは矢狭間が上にあって、鉄砲狭間が下についていました。 甲府城は武田氏滅亡後の1582年、徳川家康が家臣の平岩親吉に命じて築城を始めました。 その後は羽柴秀勝(秀吉の甥)の支配下となりましたが、加藤光泰により築城は続けられ、浅野長政・幸長父子の時代に城郭が完成しています。 江戸時代に入ると、甲斐は徳川氏の直轄領となり、徳川氏が再び入城しました。 ちなみに江戸城の半蔵門は、服部半蔵に由来しています。 そして半蔵門から続く甲州街道沿いには、服部半蔵配下の組屋敷が並んでいました。 非常時には、将軍を甲府城へ脱出させるためだったとも言われています。 武田信玄の時代から、甲斐の国そのものが要害だったのかも知れません。 日本城郭協会「日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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