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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
唐突に始まった日光街道宿場町めぐりですが、日光道中二十一次もようやく3分の1となり、第7宿の栗橋宿へとやって来ました。
幸手宿からは再び国道4号線をたどったのですが、ふと道路脇から行先表示を振り返ってしまいました。 ![]() あまり距離は気にしていなかったのですが、随分と遠くへ来た感があります。(やはり自転車で来る場所じゃなかったか…) 途中では現在の奥州街道とも言うべき、東北・上越新幹線の高架下を通りました。 ![]() ちょうどMaxが通り過ぎて行ったのですが、さらに徒労感が募ってきました。 人や自転車の通行が全く想定されていない片側二車線の国道がずっと続き、いい加減に退屈してきたのですが、脇道にそれた瞬間にいい感じの道を発見しました。 ![]() 直線に続く道と旧家、これは旧街道筋ではないでしょうか。 中にはこんな建物も ![]() ![]() やはりこれは旧日光街道ではないでしょうか。 栗橋宿をさらに探索していると、静御前の墓所を発見しました。 ![]() 静御前の墓所 奥州平泉の藤原氏を頼って源義経が京都を経った時、静御前も京都を経って平泉へと向かって行きました。 その途中で義経討死の悲報を聞き、菩提を弔うために、静御前は再び京都へ戻ることを決意します。 しかしながら悲しみと長旅の疲労で病となり、生涯を閉じた場所がこの栗橋でした。 墓石は昔からあったようですが、現在はガラス張りの厨子に保存されていました ![]() 旧墓石 そして傍らには「静女所生御曹司供養塔」が… ![]() 頼朝に「女子なら助けるが、男子なら殺す」と言われたとか。 あの北条政子でさえも命乞いをしたのですが、後に禍根を残すことを一番よく知っていたのは、当の頼朝本人だったのかも知れません。 私は決して「判官びいき」ではないのですが、あまりに悲しい出来事です。 そんな過去を振り返りながら栗橋宿を後にすると、利根川へと来てしまいました。 ![]() 利根川橋から上流を見ると、渡良瀬川との合流点が見えています。 栗橋宿は武蔵国最後の宿場であり、利根川を渡ると常陸国です。 ![]() 行くか戻るか、ここが思案の思案橋ならぬ利根川橋です。 果たしてここから先はどうなったか、次の記事でご紹介したいと思います。 関連の記事 日光街道~千住宿→こちら 日光街道~草加宿→こちら 日光街道~越ヶ谷宿→こちら 日光街道~粕壁宿→こちら 日光街道~杉戸宿→こちら 日光街道~幸手宿→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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