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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
江東区清澄にある「清澄庭園」は、回遊式林泉庭園となっており、一説には江戸の豪商であった紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。
その後の享保年間(1716~1736年)に、下総関宿城の城主であった久世大和守の下屋敷となって、現在の庭園のもとが造られました。 明治11年に、三菱の創業者である岩崎弥太郎が買い取り、社員の慰安や接待の場所として造成を開始し、1880年に「深川親睦園」として開園しています。 庭園内には岩崎家が全国から取り寄せた名石が並んでいました。 泉水の周りには築山が配され、サツキとツツジが植えられていました。 「富士山」と名付けられた築山。 また1909年にはイギリスのキッチナー元帥を国賓として迎え入れ、岩崎家によって泉水のほとりに「涼亭」も建てられました。 泉水にはてっきり海水を使っているのかと思っていたのですが、よく見るとコイやカメがいて、淡水でした。 岩崎家によって造園された時、隅田川の水を引き入れたそうです。 コイやカメは人なつっこく、人が近付くと泳いで岸に寄って来ました。 小石川後楽園や六義園と比べると、あまり凝った印象はなかったのですが、かえって親しみの感じられる庭園でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/09/07 03:17:10 PM
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