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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:東海道五十三次
旧街道の道幅が残る由比宿の旧東海道を急ぎ、サッタ峠へと向かって行きました。
(「サッタ」は「薩」と「土へんに垂」なのですが、ブログ上に記載できないのでカタカナ表記にしています) 宿場町内ではかろうじて対向できたのですが、サッタ峠の道は完全に一車線となり、対向車が来るとすぐに立ち往生すると言った感じです。 (衝突するか海に落ちるか、過去の歴史でもサッタ峠は要衝でありました。 現在も旧街道の細い道が残り、道端には道標が残っていました。 ![]() サッタ峠の道標 今も昔もサッタ峠から見る駿河湾の風景は、東海道の代表的な景色として絵画や写真などに描かれてきました。 歌川広重も東海道五十三次の由比宿ではサッタ峠からの駿河湾を描いています。 ![]() 歌川広重「東海道五十三次 由比サッタ峠」 そしてこちらが現在のサッタ峠 ![]() 現在では東海道に変わって国道1号線が通っています。 写真では富士山が写っていないのですが、肉眼では頂上にうっすらと雪を被った富士山の山容を望むことができました。 (何とか日没までに間に合いました) 東海道の要衝とも言うべきサッタ峠は、過去に何度も合戦が繰り広げられた場所でもあります。 南北朝時代の1351年には、足利尊氏と足利直義の兄弟同士の合戦が繰り広げられ、戦国時代のなると北条氏康・今川氏真VS武田信玄の合戦が何度も行われました。 (蒲原城の争奪戦が展開されたのもこの時です) それだけ東海道の要衝だったことを物語っていますが、江戸時代以降は東海道を象徴する風景に河っているのは、何とも皮肉な結果です。 関連の記事 東海道~蒲原宿→こちら 東海道~由比宿(その1)→こちら 蒲原城→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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