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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
市川の真間にある手児奈霊堂は、「手児奈」という女性の奥津城処(墓所)と伝えられる地に建てられ、1501に弘法寺の日与上人によって世に広められました。
![]() 手児奈霊堂 手児奈霊堂の境内に小さな碑が建っていたのですが、何が書いてあるのかよくわかりませんでした。 ![]() 手児奈の奥津城処なのでしょうか・・・ 手児奈については様々な伝承があり、 ・美人だったために多くの男性から求婚され、自分のために人々が争うのを見かねて、真間の入江に身を沈めた。 ・ある国の国造の息子に嫁いだものの、親同士の不和から海に流され、漂着したところが故郷の真間の海辺であった。 ・継母に仕え、真間の井戸の水を汲んでは孝養を尽くした。 など、美談と言えば美談ですが・・・ いずれにしても手児奈の伝承は、万葉集を始めとして多くの作品に登場してきました。 奈良時代に山部赤人が下総の国府を訪れた時、手児奈の伝承を聞いて、 「われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城処」 と詠った歌が、万葉集に収められています。 また、歌川広重の「江戸名所図会」の中にも、手児奈霊堂と霊堂前の「継橋」が描かれています。 ![]() 江戸名所図会「真間の紅葉 手古那の社 つぎ橋」 現在は手児奈霊堂の参道前に、継橋が復元されていました。 ![]() 継橋 関連の記事 弘法寺→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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