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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2011/05/10
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テーマ:城跡めぐり(1238)
松江から出雲街道(国道54号線)を南下して中国山地を越え、広島県に入って来ました。

月山富田城の尼子軍も出雲街道を南下したことでしょうが、中国山地を越えた広島県北部の出雲街道沿いには、山陽・山陰の覇権をかけて争った毛利氏の本拠地、吉田郡山城があります。

吉田郡山城遠景 (500x375).jpg
吉田郡山城の遠景

毛利氏の本拠地としては広島城萩城を訪れたことがありますが、いずれも近世城郭の平城なので、本拠地としての戦国山城を訪れるのは吉田郡山城が初めてです。

山麓の資料館に吉田郡山城の城郭模型があり、縄張りが復元されていました。
吉田郡山城城郭模型 (500x376).jpg
山頂の本丸を中心として、周囲の尾根に沿って曲輪が張り巡らされていたようで、曲輪の数は270もあったそうです。
山全体が曲輪で覆われて、まるで要塞のように見えました。

居館である「御里屋敷」は山麓にあったようですが、現在は「県立自然の家」の敷地になっていました。

吉田郡山城御殿跡 (500x375).jpg
毛利元就が毛利隆元・吉川元春・小早川隆景に宛てた三子教訓状(いわゆる三矢の教え)の場所でもあります。

吉田郡山城毛利元就像 (500x375).jpg
御里屋敷跡に建つ毛利元就像

毛利元就は1571年6月14日に75歳で亡くなるまで吉田郡山城に住んでおり、御里屋敷と同じ山麓部には毛利元就が荼毘に付された火葬場の跡が残っていました。
吉田郡山城毛利元就火葬場跡 (500x375).jpg

また吉田郡山城の南東側の山麓部には、毛利元就の子である毛利隆元の墓所がありました。
吉田郡山城毛利隆元墓所 (500x375).jpg
毛利隆元の墓所
毛利元就から家督を譲られた後も毛利元就が実験を握っていたため、毛利隆元は実質的に毛利家の当主となることもなく、毛利元就よりも8年早い1563年に亡くなりました。
尼子氏攻略のため出雲に向かう途中、饗応を受けた後で急死したため、毒殺とも食中毒とも言われています。


吉田郡山城の本丸への登城道は、西側の尾根を伝ってに本丸へと続いていました。

尾根沿いには削平地が見受けられたのですが、これも数ある曲輪の跡かと思われます。
吉田郡山城山麓曲輪 (500x375).jpg
曲輪跡(?)

また登城道の入口付近には、空堀の跡も残っていました。
吉田郡山城薬研堀 (500x375).jpg
発掘の結果、長さ100mもある薬研堀だったようで、吉田郡山城の内堀として機能していたようです。


尾根を登った本丸部の西側には洞春寺の跡があり、毛利元就や毛利一族の墓所がありました。
吉田郡山城毛利元就墓所 (500x375).jpg
毛利元就墓所

毛利一族の墓所もあって、山口市の瑠璃光寺にある香山墓所と同じく、円墳型の墳墓となっていました。


本丸付近は特に曲輪が張り巡らされた場所で、頂上部の本丸を中心に六方の尾根伝いに、放射状に曲輪が置かれていたようです。
吉田郡山城城郭図 (2) (500x374).jpg
画像の下側が北側になるのですが、右上(南西)を大手と見るのが妥当かも知れません。

実際に南西側の尾根には「勢溜の壇」と名付けられた曲輪群があり、特に厳重に曲輪が連なっている場所です。

吉田郡山城勢溜の壇 (500x375).jpg
「勢溜の壇」の曲輪
大手口を守る曲輪群だったのでしょうが、尾根に沿って曲輪が下へと幾重にも連なっていました。


「勢溜の壇」の曲輪群の上にはさらに広い曲輪があり、「御蔵屋敷」と名付けられていました。
山口市の常栄寺に吉田郡山城の古城図があるようで、その古城図に出てくる「御蔵」がこの曲輪だとされています。

御蔵屋敷に続いて三の丸があり、当時は土塁ではなく石垣で囲まれていたようです

吉田郡山城三の丸 (500x375).jpg
三の丸

吉田郡山城三の丸石垣 (500x375).jpg
三の丸の石垣
石垣は江戸時代になって破却されたため、今は完全に残っていませんでした。

御蔵屋敷や三の丸から一段高い場所に二の丸があり、やはり石垣で囲まれていたようですが、三の丸の石垣と同じく江戸時代に破却されたようです。
吉田郡山城二の丸 (500x375).jpg
二の丸

それにしても石垣は江戸時代に破却されたとなると、そもそも誰が何のために破却したのか疑問に思うところです。
江戸時代に入る前に毛利氏の本拠地は広島城に移っており、江戸時代には萩城に移っているので、吉田郡山城の石垣を破却する理由がよくわかりません。
(関ヶ原の戦い後、毛利氏の後に広島城に入った福島正則が酔った勢いで腹いせに命じたとすると、さもありなんといった感じではありますが・・・)

本丸はさらに一段高い場所にあり、意外と狭い感じがしました。
吉田郡山城本丸 (500x375).jpg
ここが中国地方の覇者である毛利氏の本拠地、吉田郡山城の本丸です。


山頂の本丸を中心として、周囲に延びる尾根線上に曲輪が巡らされているのは山麓でわかっていたのですが、その曲輪の跡を確かめるために本丸の周囲を回ってみました。

吉田郡山城釣井の壇 (500x375).jpg
本丸西側の尾根線上にある「釣井の壇」
その名の通り水の手のあった場所で、現在は土に埋もれた井戸を掘り起こすと水が湧き出るとされています。

吉田郡山城姫の丸壇 (500x375).jpg
本丸の南西側にある「姫の丸壇」の曲輪
姫の丸の名前の由来はよくわかりませんが、搦め手方向にあるため、有事の際に女性が集まる場所だったのでしょうか。


吉田郡山城釜屋壇 (500x375).jpg
大手方向と正反対にある「釜屋の壇」
炊事場だったようで、大手から遠い場所にあるのもわかるような気がします。

吉田郡山城厩の壇 (500x375).jpg
名前からすると馬がいたのでしょうが、ここまで馬を連れて来るのは一苦労だったことでしょう。


縄張りには築城主のくせや考え方が出ると思っているのですが、毛利元就の吉田郡山城は周到な印象がありました。
さすがは中国地方の覇者であり、謀略家の城郭といった印象です。


吉田郡山城の歴史は古く、南北朝時代の1336年に毛利時親が越後国から安芸国吉田荘に移ってきたことに始まります。

ちなみに毛利と言えば中国地方のイメージが強いかと思いますが、元々は相模国毛利荘(神奈川県厚木市)が発祥で、大江広元の子孫にあたります。
(毛利氏の史跡では「一文字に三ツ星の家紋と共に、「大江朝臣」の姓をよく見かけます)

元々吉田郡山城の本丸は、現在の本丸の南東側にある「旧本城」と呼ばれる小高い場所にありました。
現在残っている城郭を築き上げたのが毛利元就で、ここを拠点に中国地方を制覇し、中国地方のみならず四国や九州の一部まで勢力を伸ばし、まさに西日本の雄者となっていきました。

戦国時代の毛利元就の時代は、中国地方の覇権をかけた尼子氏との戦いの時代でもありました。
毛利元就が尼子氏の月山富田城に攻め込んで包囲したり、尼子氏が吉田郡山城に攻め込んで包囲したりと、吉田郡山城は実戦を潜り抜けてきた城です。

実際に1540年には、尼子晴久が3万の大軍で吉田郡山城を包囲しました。
この時毛利元就は兵と領民合わせて約8,000で籠城戦を戦い、約4ヶ月間の籠城戦の末に尼子軍を敗退させています。
吉田郡山城青光井山 (500x375).jpg
吉田郡山城の包囲戦で尼子軍が陣を置いた青光井山


毛利元就の孫である毛利輝元の時の1591年に本拠地を広島城に移したため、毛利氏本拠地として約250年続いた吉田郡山城は廃城となりました。

(財)日本城郭協会「日本100名城」





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最終更新日  2022/02/02 04:32:26 AM
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