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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
江戸時代の地図が現在も使えると言われる萩城の城下町ですが、調査によれば道路の約91%が未拡幅で、伝統的建物の約89%が現存すると言われています。
その萩城の城下町を実際に見て回ろうと、まずは萩城外堀にある北総門をスタートしました。 萩城の城下町は阿武川が橋本川と松本川に分流する三角州に京成され、萩城は三角州の北西側にあります。 萩城のある市街地北西側には「堀内」の地名も残っており、上級武士の屋敷が並んでいました。 福原家の長屋門 道幅も当時のままに残っており、緊迫した幕末の情景が想像できる気もします。 周布政之助の旧宅 周布政之助なくしては、高杉晋作を初めとする松下村塾の塾生の活躍もなかったことでしょう。 繁沢家の長屋門 上級武士の屋敷が並ぶ堀内に対し、下級武士の屋敷は松本川と橋本川の分流点に近い場所にあり、川島と呼ばれています。 堀内と川島の中間点辺りには、商人の屋敷が並んでいたようです。 菊屋家旧宅 久保田家旧宅 商人街のあたりには、幕末の長州を語る上で欠かすことのできない人達が住んでいました。 高杉晋作生誕地 木戸孝允(桂小五郎)旧宅 そして長州萩の出身と言えば、この人もそうです。 吉田松陰門下生であり、明治になって首相や陸軍元帥となった山県有朋の像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/08/25 01:06:41 PM
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