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テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
中山法華経寺に立ち寄った後、再び旧佐倉街道に戻り、船橋方面へと向かって行きました。
中山から先の佐倉街道(国道14号線『千葉街道』)では、民家のたたずまいなどに旧街道の面影がよく残っていました 道端にある庚申塔 うっかりすると見落としそうなくらい地味な庚申塔ですが、今日に至るまで大切に残されてきたのがよくわかります。 ほんの一時期だけですが、西船に住んでいたことがあって、この辺りは割となじみのある場所です 中山競馬場入口交差点 左に曲がると中山競馬場があり、その途中に住んでいました。 ところでこの辺りの道路標識には、下に「競馬開催日を除く」と書かれたものが多くあります。 競馬はやらないので、いちいち開催日など知るはずもありませんでしたが、西船橋駅から来る人の列ができるので、「今日は開催日かな?」といったところです。 (特に有馬記念の時は西船橋駅から人であふれていました) 当時は西船橋駅を利用していたこともあって、中山競馬場入口から西船橋駅までの道は、通い慣れた道でもあります。 西船橋駅の駅前も、あまり変わっていないので、懐かしい感じがしました。 西船橋駅からしばらく行ったところで国道14号線と分かれ、船橋市の市道が旧街道を踏襲するようになります。 国道14号線との分岐付近には、「あかもん寺」の別名を持つ大覚院があります。 龍王山海蔵寺大覚院が正式な名称で、真言宗の寺院です。 やがて船橋市海神から本町に入り、地名からもこの辺りが船橋宿の中心部だったと思われます。 その船橋宿の入口には、「西向地蔵尊」がありました。 千葉市が行政都市ならば、船橋市は商業都市といった感じで、かつての船橋宿も佐倉街道で最大の宿場町でした。 古くから海運と「船橋漁場」の水産で発展したこともあって、船橋大神宮(意富比神社)の門前には市が立ち、船橋宿も成田山の参拝客でにぎわっていたようです。 その船橋宿も、幕末には旧幕府軍と新政府軍の「市川・船橋戦争」の戦場となり、戦火で宿場町の大半が焼失してしまいました。 それでも現在の船橋宿には旧家が残っていたりして、当時のにぎわいを垣間見ることができます。 森田呉服店 森田呉服店の斜め向かいには、「廣瀬直船堂」があります。 何屋さんかと思って店内を見てみると、駄菓子が並んだお菓子屋さんでした。 寺社も数多く残る旧船橋宿にあって、この辺りには珍しく厳島神社があったので、思わず足を止めていました。 カープファンにはおなじみの「宮島さん」 我が広島東洋カープの勝利を祈願して「せめてセパ交流戦は勝率5割で何とか…」とお願いしたものの、御利益どころか全くの逆効果になっています。 船橋宿の中心部には海老川が流れ、ヤマトタケルの東征の時、海老川に船を並べて橋にしたと言われています。 それが由来となって、現在の船橋となったようです。 JR武蔵野線の高架下を通り、ずっと旧街道を進んで行くと、見慣れた交差点にやってきました。 千葉県道8号線「船取県道」との交差点、中野木交差点です。 交差点の脇には庚申塔も残っていました。 ここから先の旧佐倉街道は国道296号線(成田街道)となり、クルマでは何度も通った道ではあります。 さすがに自転車では「遠くへ来た」感があって、もはやポタリングを超えているので、ここで引き返すことにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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