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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
8月に居酒屋で左ひざを痛めているところですが、9月の奥高尾縦走路で散々な目に遭った時、やはり爆弾だったことがわかりました。
それでも調子は良くなって来たので、試運転を兼ねて山歩きに出かけてみることにしました。 あまり無茶はできないこともあり、房総の山にしようかと思いつつ、向かった先は箱根でも丹沢でもなく鎌倉。 逗子から鎌倉まで、名越切通を越えるルートを行ってみることにしました。 横須賀線の鎌倉駅はパスして逗子で降り、逗子と鎌倉の市境にある丘陵を目指しつつも、まずは岩殿寺に立ち寄りました。 岩殿寺山門 岩殿寺は聖武天皇の勅願により開山され、徳山・行基の開基とされる古刹です。 坂東三十三か所霊場の二番目で、源頼朝も厚く信仰したとされています。 岩殿寺から再び市街地に戻り、名越尾根を目指して進んでいくと、住宅地が一変して「名越里山」と呼ばれる長閑な場所に差し掛かりました。 うっかりすると見落としそうなところに道標があり、ここがハイキングコースの入口のようです。 ハイキングコースというより、「踏み跡」といった感じで、この先は荒れてわかりづらい道が続きます。 後でわかったのですが、法性寺を経由するルートが正規ルートのようで、横須賀線の踏切手前での分岐点を間違えていました。 クモの巣や倒木などを避けながら進んでいくと、整備された道との分岐点がありました。 これでもかなりの待遇改善です。 それにしても普通の生活圏とハイキングコースが近いのが鎌倉らしく、山道を行きながらもすぐ下から少年野球の声が聞こえてくるほどです。 (樹木で見えませんが、審判の声まで聞こえてきました) いきなり無線中継所があったりもします。 道もわかりやすくなったかと思うと、ハイカーとすれ違うことも多くなり、いよいよ名越尾根の尾根線に取り付きました。 ここから名越切通まで往復し、再びここに戻って衣張山(ハイランド方面)を目指す予定です。 名越尾根では、南東方向に樹林帯が切れる場所があり、材木座海岸の相模湾を望むことができました。 この辺りは逗子市と鎌倉市の市境となっており、「大切岸」と呼ばれる切岸の上を行きます。 大切岸 大切岸の直下にはウッドチップが敷き詰められ、まるで城郭の曲輪のような削平地も広がっていました。 この切岸を見る限り、個人的には鎌倉の南西部を防御する砦があったと思います。 法性寺あたりで下を見ると、ハイキングコースも切岸の上を行くような恰好です。 この辺りに「鎌倉らしさ」を感じます。 その切岸から切り出したのか、尾根線上には石廟も並んでいました。 市指定の史跡ですが、鎌倉市指定なのか逗子市指定なのか、市境にあるためよくわかりませんでした。 大切岸を過ぎてしばらく行くと、いくつか削平地があったりして、いよいよ名越切通へとやってきました。 この真下にトンネルがあり、JR横須賀線が通っています。 名越切通は鎌倉を囲む「鎌倉七口」の1つです。 鎌倉は政治都市でありながら、やはり軍事都市でもあったと実感できました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014/10/21 08:22:58 PM
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