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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
衣張山から下りて来た後、東から西へ鎌倉を横断するようにして、扇ガ谷へとやって来ました。
横須賀線の向こうには英勝寺の境内があり、英勝寺の山門がひときわ目を引きます。 扇ガ谷の地名にもあるように、この辺りは扇谷上杉氏の本拠地であり、横須賀線を挟んだ反対側に扇谷上杉氏の屋敷があったようです。 やはり扇谷上杉氏と言えば家宰であった太田道灌、その太田道灌の屋敷跡が英勝寺だとされています。 鎌倉ではおなじみ、青年会による史跡案内です。 文語体の記述と大正十年の日付があり、史跡看板にも歴史を感じます。 その英勝寺も通り過ぎてさらに西へ向かい、鎌倉西側の防衛ラインともいうべき源氏山を目指して行きました。 源氏山の途中には「鎌倉七口」の1つ、化粧(けはい)坂が待ち受けています。 このように岩を切岸状に削るのは、房総の里見氏の城跡でよく見かけますが、鎌倉の影響もあるのでしょうか。 太田道灌が活躍した時代から遡って太平記の時代、鎌倉幕府倒幕に動く日野俊基が捕えられ、その最期を遂げたのが化粧坂を上がったところにある葛原岡でした (日野俊基の墓所があって、葛原岡神社が祀られています) そして1333年、新田義貞率いる倒幕軍が攻め込んだのもこの化粧坂でした。 (この時は鎌倉幕府軍の前に化粧坂を越えられず、稲村ヶ崎へ迂回して鎌倉に攻め入っています) 化粧坂を登り切った一帯が源氏山公園で、山頂付近には源頼朝像が建っています。 八幡太郎義家が後三年の役で奥州に出陣するにあたり、ここで白旗を立てて戦勝祈願をしたのが由来とされています。 源氏山公園から鎌倉大仏のある極楽寺方面まで、鎌倉の西側尾根に沿ってハイキングコースがあるのですが、ちょっと寄り道してみることにしました。 鎌倉名水の1つ、銭洗弁財天です。 トンネルを通って境内に入ってみると、さほど広くない境内に人があふれていました。 社務所で売っている笊を手にした人が並んでいました。 銭洗弁財天はそこそこにして、再び源氏山の山頂付近に戻ると、今度は尾根沿いを南下して高徳院へと向かいました。 ハイキングコースとは言え、ハイカーらしき恰好をした人はあまり見かけませんでした。 時折ハイカーらしき人とすれ違うのですが、お互いにわかるものがあって、その時は山の挨拶を交わしたり といった感じです。 そして高徳院 そして大仏様 実は鎌倉大仏を見るのは初めてなのですが、この人の多さに大仏様も困り顔のようです。 関連の記事 鎌倉天園(鎌倉アルプス)(2009年11月)→こちら
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