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カテゴリ:読書
■表紙の写真はよく見ると新幹線からの車窓になっている。ただしそれは通常座席に座って窓から眺めるその角度ではなく、たとえば仰向けに倒れて見える風景、またはどこか狭い場所(トイレとか)に閉じ込められて隙間から見える風景に近い。
■上野から盛岡までの新幹線の中で物語は進む。各章の書きだしには例の登場人物を示す印鑑が押されているという体裁はグラスホッパー形式とでも呼べばいいのか。たしかにこの物語は例の小説の続編と呼べるかもしれないが、密室内で話が展開していく分、緊迫感はより高まっていると言える。 ■暴走超特急と言っても停車駅にとまらないわけではない。終点までいくつかの駅で降りようと思えばいくらでもその機会はあったにもかかわらず登場人物たちは結局最後までこの列車に乗り合わすことになる。運が悪かった者もいる。任務が終わらなかった者もいる。結末まで見届けようと思った者もいる。 ■グラスホッパーの続編というからには殺し屋たちの物語でもある。ということはこの走る密室で数々の殺戮が行われるわけである。もちろん殴り合いもあればナイフだって拳銃だって登場する。でもそれ以上に言葉による暴力の応酬がこの物語の読み応えでもある。 ■おそらく読者は途中から王子(そういう名字なんだってさ)という名の中学生の存在に感情を操作されると思う。それが嫌悪感なのか、親近感なのか、反感なのか、共感なのか、読み手によって様々だとは思うが、この子を(裁くであれ、救うであれ)どうにかしてあげたいと考えながら読み進めることになるのではないかと思う。 ■わたしはずっとこの王子をギャフンとさせたいと思いながら読んでいたわけだが、そのギャフンのさせ方のうち最も有効なのはどんな方法なんだろうと考えるとちょっと途方に暮れた。物事を論理的に語り尽くして彼の思考の矛盾を攻撃するのが良いか、はたまた肉体的にこっぴどく痛めつけて降伏させるのが良いか。 ■結局彼のことを無視できたら一番だと思い当たるわけだが、伊坂が仕掛ける屁理屈やら挑発やらがいちいち神経の過敏な所にちくちく針を刺してきてうざい。それゆえ終盤、意外な人物(たち)が彼を屁のように扱いこちらの溜飲を下げてくれる流れは痛快でもある。 ■蜜柑と檸檬という名の双子チックな殺し屋の掛け合いが良い。かたやバージニア・ウルフ、かたや機関車トーマス、その何万光年も離れているように見えるふたつの文学(?)の語られ様がほぼ均等な価値観を示しているかのように見えてしまうところが素敵だ。 ■読了後、6年ぶりに「グラスホッパー」を再読した。すっかり筋を忘れていたので新鮮な気持ちでハラハラワクワクしながら読めた。鯨と蝉の戦いにちょっと涙腺が緩んだ。あ、この人がまた今回も出てきたんだという発見。虫にあって人間にないもの。マリアビートルによってグラスホッパー再評価。こんな伊坂を待っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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