原点
全員が背番号10阪神が80周年永久欠番デー阪神の球団創設80周年を記念する「永久欠番デー」として試合が行われた。 背番号23が永久欠番となっている吉田義男氏(81=日刊スポーツ客員評論家)、背番号10の藤村富美男氏(享年75)の孫・藤村一仁氏(36=会社員)、背番号11の村山実氏(享年61)の孫・村山直之氏(18=高校生)が参加した。まずは3人が試合前にマウンドへ上がり、和田監督から花束を受け取った。吉田義男氏は「このような形でお祝いしていただき誠にありがとうございます。タイガースがここにあるのは長年に渡っての、ファンの皆様の温かいご声援とご協力のたまものでございます」とあいさつ。その後始球式が行われた。村山氏が投手を務め、藤村氏が右打席に。吉田氏が捕手を務めた。村山氏の投球は捕手の頭上を行く球となったが、3人の始球式にスタンドからは大きな拍手が送られた。藤村氏は「祖父には最初にグローブを買ってもらった。居間で『バットをこう振るんだ』と言われました」と富美男氏との思い出を懐かしんだ。なお、この試合では阪神の全選手が藤村富美男氏が背負った背番号10のユニホームを着用した。ニッカン 阪神 0 - 1 讀賣 甲子園 球団創設80周年のタイガース 今日の甲子園での讀賣とのオープン戦は永久欠番デー として 選手全員が10番のユニフォームでプレーした 去年のオープン戦 讀賣が同じ理由で全員が14番を着たとき阪神は全員19番で協力したんじゃなかったっけ?讀賣って やっぱり恩も義理もあったもんじゃないな 怒 徳虎が野球を始めたキッカケは1973年 親父に連れられて行った広島市民球場で見た22番のホームラン それから数年間11番はテレビの解説者甲子園での讀賣戦で虎びいきの解説をしていた その数年後23番は監督に就任チッこいおっちゃんだったが現役時代は牛若丸と呼ばれたスゴイ選手だったと親父に聞いた 10番はサムライだった物干し竿のような長い刀を振り回す時代劇の中の侍だった OB戦以外で10番のユニフォーム姿を見たことはない でもよく考えてみれば... 親父も生粋のタイガースファンだったそうじゃなければ阪神戦を見にいったかどうかは... じゃ なぜ 親父は阪神ファンなの? 聞いたことはないけど... 藤村 富美男(ふじむら ふみお、1916年8月14日 - 1992年5月28日)広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・監督・解説者呉港中学(現呉港高校)では夏の甲子園大会で川上哲治の熊本工をやぶり全国制覇大阪タイガース(現:阪神タイガース)の黎明期を支えた戦前から1950年代までのプロ野球創成期を代表するスター選手初代「ミスタータイガース」 親父の高校の大先輩に当たる人だ!! 徳虎の虎キチとしての原点がここにある 今日のこの試合解説は31番やったな フォームはぜんぜん違うけどマウンド上の雰囲気が22番に似てきたな!!