今くるよ師匠を悼む
昭和54年(1979)生まれの私が、幼いころに(勿論テレビで)認識した、女流漫才コンビを思い返してみると…。東京が「内海桂子・好江」の両師匠、そして関西が「若井小づえ・みどり」、そして「今いくよ・くるよ」の両コンビだったように覚えている。「春やすこ・けいこ」は、活動期間が短かったのかあまり記憶に残っていない。漫才の女性コンビで、最も活躍し全国区でその名を知られたのはやっぱり「今いくよ・くるよ」のご両人になるのではないか。2015年に、いくよ師匠が胃がんで急逝し、その後1人で頑張ってこられたくるよ師匠が、27日に膵臓がんで亡くなったという。年齢は非公表とのことだが、昭和45年(1970)に今喜多代師匠の門を叩いた(高校卒業後)とのことなので、私の母親と同い年…といったところだろう。最後の舞台は、一昨年の吉本興業の「伝説の一日」のときだったと聞いている。そのときの写真を見たのだが、派手な衣装に変わりはなかったものの、車椅子姿で人相が完全に変わってしまっていて、非常に辛かった。-------------------------------------------------------------------漫才ブームで、世間に出たのは昭和55年(1980)になるか。高校の同級生で共にソフトボール部だった、いくよ・くるよのお二人。プライベートでも非常に仲が良かったと聞く。私が覚えている最古のいくよ・くるよは、確か日曜の昼間に日テレで放送していた「目方でドーン!」だったはず。若き日のさんま師匠と司会をしていて…早い話が「ガッチリ買いまショウ」の重さ版の番組。これのオープニングだかでくるよ師匠が腹をバーン!と叩くのを覚えている。あとは「花王名人劇場」や「笑点」、そしてお正月の「初詣!爆笑ヒットパレード」(フジ)や「初笑い東西寄席」(NHK)で何度となく舞台を見てきた。東京の人間なので、残念ながら生でその姿を見ることはできなかった。上記のとおり普通は…って…普通がそうだということに対して、あまりいい感情は持てないが…漫才コンビは仲が悪いのが定番。しかし、いくよ・くるよの漫才は仲の良さが滲み出る温かさと、くるよ師匠のド派手な衣装で笑わせる両方があったように思う。空気・雰囲気だけで言えば、東京だが「さまぁ~ず」が近いか。こちらは2人とも派手じゃないけども。ただ、往年の「海原お浜・小浜」や弟子の「海原千里・万里」、「若井小づえ・みどり」とか、今の女流トップの「海原やすよ・ともこ」に比べると、笑いの量では若干少なかった。あくまでも個人的見解だが。でも、あのパワフルながらも温かい2人の掛け合いは、やっぱり見事だったし、素晴らしかったと今さらながらに思う。もう20年以上前になると思うが、上記の「初笑い東西寄席」でなんばグランド花月から生中継で出演したとき、くるよ師匠の衣装が…確かモスラの幼虫みたいなのが巻かれた衣装だった。それで、激しく動く度に静電気が発生し、センターマイクから「ボン!ボン!ボン!」と爆発音のような音が度々出てしまい、いくよ師匠が「…何とかならんの?」みたいに困惑した舞台を見て大笑いしたのが、懐かしい思い出となっている(笑)。9年ぶりに、あの世で「いくよ・くるよ再結成」となった。命日が1日違いというのも、お二人の仲の良さの表れだろう。くるよ師匠。本当に長い間、お疲れさまでございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。