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高知に「科学館」ができる.
高知県と高知市がそれぞれ持っていた図書館を合体させて,1つの新図書館を造る.その最上階を「科学館」とする,という計画だ.長い時間をかけて「基本構想」ができたらしい.先日(1月20日)はその「説明会」を聞きに行った.要望したいこともあるし,いろいろな話が出ることを期待した. 結論から言うと,「説明会」というのは形ばかり.「説明会を開いた」というアリバイ作りのための「儀式」のようなものだった. 事前に質問内容を紙に書いて渡さねばならない.質問できるのは1人2つまで.発言できる時間は1人3分まで.そして発言できる人数は10人まで.あとは教育次長だかの陳腐な独演会.あまりにアホくさい儀式であった. 市民県民に対する行政の「説明会」というのは,ここ数十年,まず例外なくこういう儀式に終始している.ご意見をうかがいますと言うけれど,意見を言ってどうなるというものでもない.役人のほうは「意見を聞いて,それに回答した」というアリバイができる.こうして粛々と事業を実施する.土木部あたりの常套手段である. しかし,これは見かけ以上に深刻な問題である.今回は土木部の説明会ではなくて,教育関係の偉いテさんとか,図書館長とか,そういう人たちによる説明会なのだ.こんな顔ぶれの人たちが,こんな手法で,高知県や高知市の「教育」を指導しているのだ.これでは高知県の教育は救いようがない. この人たちは,何を恐れているのだろう? 新しい図書館を作ろう.科学館を作ろう.そういう会ではないか.皆が自由に発言して,おおいに夢を語り合う会ではいけないのだろうか.楽しいはずの集まりではないのか? 主催者側は仕事だろうけれど,参集した県民市民は自発的に集まった人たちだ.皆それぞれに高いモチベーションを持っているはずだ.そういう人たちを相手に,ここまで儀式化して万事滞りなく会を進行させねばならない理由はない.これでは参加者は,まるでテロリスト扱いだ. 主催者側は今まで何度も会合をもって,計画の隅々まで検討してきたはずだ.生半可な要望や指摘に耐えられない訳がない.この人たちには,そういう自信も自負もないのだろうか.もっと自由な,生き生きとしたやり取りがあって欲しかった. 科学館ができる.あまりに小さいけれど,そういう名の施設ができる.大いに期待したいところであるが,この「説明会」に参加して,期待よりは危機感のほうを強く感じてしまった. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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