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憲法第13条について,もう少し書いてみます.
憲法であれ一般の法律であれ,次のことは言えるのでないでしょうか. a.個別の条文を見てそれだけで解釈するのでなく,前文や他の条文との有機的な関連の中で理解せねばならない. b.語句の小さな変更や言い換えが,全体の流れの中では違った意味になりうる. c.従って,変える必要のない表現は変えないのが原則. といった点に留意しつつ,第13条の条文について考えます. (日本国憲法) 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (自民党改正案) 第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。 似ているけれど多少の違いがある. すべて > 全て 個人として > 人として 公共の福祉 > 公益及び公の秩序 最大の尊重 > 最大限に尊重 1.「すべて」と「全て」 同じじゃないか,という意見が多いと思う.同じであれば変更しないのが原則でしょう(理由は上記). 2.「個人」と「人」 「個人」とは,自我をもった1人1人のこと.それぞれにかけがえのない,世界でただ一つの存在.「個人」の反対語は「社会」ないし「国」.すると第13条の条文は: - 国民は,社会を構成する各々かけがえのない存在として尊重される. というような意味になる.これが日本国憲法. 「人」の反対語は「自然」とか「動物」.そう考えると第13条の条文は: - 全国民は,モノや動物でない「人」として尊重される. となる.これが自民党案. 「自我の発見」は,近代の始まりとさえ言われる.だから条文の「個人」という表現には,それなりの重さがある,と私は思います. 2.「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」 「公共の福祉」が何を意味するかは,ずいぶん議論されている.正解を私は知らない.しかし「公共」とは「人々」のことだろう.それに対し公益とか公の秩序とかの「公」は,政府ないし国のことだ. 参考までに: 自民党が国会提出を予定している「特別秘密保全法」案では,「特別秘密の漏えい」に厳罰が課されることになっている.「特別秘密」とはどういう秘密かというと,国の安全,外交,のほか「公共の安全および秩序の維持」に関する秘密も含まれる(東奥日報社説,2013年4月19日). - これでは事実上,「特別秘密」の範囲が無限定になる.政府にとって不都合な情報や,原発や公害など生活に関わる情報を引き出そうとするだけで,処罰されかねないのだ. http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2013/sha20130419.html 同じ政党が同じような時期に提案しようとしている文案である.そこに表れる類似の表現: 「公益及び公の秩序」 「公共の安全および秩序の維持」 が,同じような意味で使われているのだろうと想像するのは容易である.そうでない,と考えるのは無理がある. 少し追加. コメント欄を見てください.内田樹さんによると「公共の福祉」のルーツは salus populi(民の安寧).だとすると「福祉」よりは「安寧」のほうが判り易いので,これを採用してみると: 「国民の権利」を制限できる唯一の理由は, - 人々の安寧(日本国憲法) - 国の益や国の秩序(自民党案) となる. 3.「最大」と「最大限」 同じでしょうか? 私は違うと思います. 「最大の」は比較級.他のさまざまな事情・理由・要因と比較して,それらのどれよりも大切なこと.それが生命,自由,幸福追求の権利(日本国憲法). 「最大限の」とは「精いっぱい頑張ります」という意味.生命,自由,幸福追求の権利を尊重するために,頑張らねばならない(自民党案). 以上見て来たように,第13条に関し自民党案は現行の日本国憲法と見かけは酷似している.しかし,その意味するところは,ずいぶん違っている.そもそも意味内容が同じであるのを(現代風に?)言い換えただけの案であれば,そういう変更はしない,すべきでない,というのが原則でしょう. 逆に言えば,現行と全く違う憲法を作ろうというのなら(実際そうですが),なぜこれほど紛らわしい,似たような表現をするのだろうか.国民をあざむいて,何としても改憲(新憲法の発令)に持ち込もうとする意図が透けて見える気がします. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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