先日「
第1回世界ろう者陸上競技選手権大会」という大会が
ありました。
徳島県からは、やり投の上西康弘選手が出場しました。
それは結構なことなのですが、上西選手はもともと、
徳島県大会で優勝するほどの実力があります。
わざわざ、「ろう者」の大会に出なくても・・・
という気もします。
昔は使われていた「かたわ」「めくら」「つんぼ」という言葉は
差別用語となり、障害者・聾者・視覚障害者と言うようですが、
言い換えたところで内容が変わらなければ、意味がありません。
何でこんなことを話したかと申しますと、
さくらんぼのハハさんのところで、
ADD(注意欠陥障害)の
チェックをしたところ、ADDの疑いがありました(汗)
不注意:9
多動性:5
過集中:5
側頭葉:1
辺縁系:2
火の輪:3
思い当たる節がある人はぜひどうぞ!
ADDについては
こちら
う~ん。
私もいきなり障害者???
思い当たる節は大いにあります(汗)
子供の頃
「落ち着きが無く、授業中立ち歩いたりする」
といったことに留まらず、
「同じミスを繰り返す・掃除や片づけができない・
注意力や集中力が切れやすい」
といった特徴は現在でもあります。
人の話を聞いていない様に思えるため
(実際に聞いていないかもしれません)
会社勤めをしていた時はそれで怒られた事が
何度もあります。
さらに、ADDではないかと指摘されたことも
あります(苦笑)
しかし、それが障害といわれると???
実際、障害を持っている人は
「障害者」
といわれることにはかなり抵抗があるのでは?
たとえどんな障害があろうとも、
それはその人の個性のように思われます。
病気の人は病気が直れば、障害がある人は障害が無くなれば
さらに、寿命が尽きようとしている人は長生きできれば
幸せになれるように思われますが、そうではないでしょう。
病気の人は病気のままで、
障害がある人は障害があるままで
寿命が尽きようとしている人はそのままで
あるがままの自分を認める。
それが幸福につながるように思います。
むしろ、それを分けてしまう事は
不幸につながるように思えてなりません。
「わざわざ、「ろう者」の大会に出なくても・・・」
という意味がお判りいただけるでしょうか?
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