今日は朝から雨が降っていますが、境内の明正寺桜が
咲き始めています。
明正天皇と言うのは江戸時代の天皇ですが、最後の女性天皇と
言うことで、
「最後の女帝、ゆかりの桜」と立札を立てていたのですが・・・
さて、先日、当院を訪れた方にこんなことを言われました。
「最後の女帝、ゆかりの桜」と書いてありますが、その後に
後桜町天皇という方がいらっしゃるのですが・・・
そ、そ、そうですか?調べときます。
明正 天皇 第109代 在位 1629年~1643年
後桜町天皇 第117代 在位 1762年~1771年
調べたら、後桜町天皇が最後の女帝です。
なんでこんな間違いが(ーー;)
しかし、近くの寺院にはもっと凄いところがある。
「○○宮天皇の御字~」と縁起に書いてあるので、○○宮天皇を
調べますが出てこない。○○宮で政務を取った天皇が複数いるのだ。
住職に聞くと「知らない」という答え(◎_◎;)
さらに「○○宮天皇の御字~」の
御字(おんじ)って何???
明らかに「御
時(おんとき)~」の間違いなんですよ(*^_^*)
※御宇(ぎょう)という指摘もありました。
また、超有名な方が開基(お寺を作った)になっているので、
その方が○○坊を作って大きなお寺になった話が
縁起として書かれているんですが、
現在の△△寺との関係が書かれていない(◎_◎;)
要するに、どっかの寺院の縁起を持ってきたのが
丸わかりなんですが、△△寺との関係をつなげないと
意味が無い。
と言うのに比べるとマシかな(*^_^*)
しかし、寺院の縁起は怪しいのが多いですよ。
四国札所の縁起など、400年前の書物には
だれが作ったか判らないと書いているのに、
現在は有名な方が作ったことになっています(*^_^*)
ちなみに、現在の札所で400年前の書物に書いてある話を
聞いてもわからない(ーー;)
少しぐらい勉強してほしいですよね。
ちなみに、私も縁起を考えました。
縁起の創作?
「寺伝によれば弥生時代に龍樹菩薩によって開基、
この地に舎利弗御作の地蔵菩薩を安置し
三人文殊寺を開く」
※龍樹菩薩は大乗仏教中観派の祖であり、日本では、
八宗の祖師と称される。また真言宗では、真言八祖の1人であり、
密教系の仏教では、「龍猛」と呼ばれることもある。
龍猛菩薩の活躍された時代は2~3世紀、日本では弥生時代。
※舎利弗尊者はお釈迦様の10大弟子のうち「智慧第一」と言われ
数々の経典にも登場する。
これはさすがに嘘っぽいという指摘が多いのですね(ーー;)
それはさておき、桜の立札は
最後から二番目の女帝、ゆかりの桜
としたらいけるか?(*^_^*)
なんか迫力に欠けるような気も(ーー;)
いかがでしょう?