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売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

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2023.08.13
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カテゴリ:ファッション
(前項からのつづき)

7月にC F Dが発足、11月には第1回東京コレクションを開催せねばならないのに会場予約はできず、特設テントを建てるしかないと用地の確保に走りました。最初に目をつけたのが北青山の絵画館周りの空き地。安く借りるためには誰もが知っている代表幹事と一緒に頼みに行くしかない。三宅一生さんに同行をお願いしました。


​三宅一生さんと(2010年撮影)​

三宅さん効果もあって施工期間を含む3週間の敷地利用は納得してもらいましたが、資金のないデザイナー組織には借地料があまりに高すぎました。最終的にここは断念しました。

次に代々木体育館(正式名称は国立代々木競技場)を訪問しました。短パン履いたいかにも体育会といった担当者は「うちはスポーツ競技に施設を貸すところ、ファッションなんて無理だよ」。それでも日参して説得、敷地の隅っこにある競技者送迎バス専用駐車場の使用許可をどうにかもらうことができました。国の所有地だから借地料は破格の安さ、私たちでも払える金額でした。

テント業者、会場設営業者も決まり、渋谷区役所に建築申請と保健所にも報告しなければなりません。通常大きなイベントには電通や博報堂など顔の利く大手代理店を頼りますが、出来立てホヤホヤの小さな組織がスポンサーなしの自主運営、代理店にお願いする資金はどこにもありません。すべて事務局マター、つまりど素人の私がやらねばなりません。

そこで、三宅さんとは親密な関係にあったパルコの増田通二社長に協力要請をしてもらい、渋谷区建築課への根回しは過去にイッセイミヤケとのイベントにも関わったパルコのベテラン社員大成正樹さんに助けてもらいました。


​ファッション史に残るイベント@渋谷パルコ​

敷地を借りるにあたって代々木体育館側からは「邪魔であろうが敷地内の桜の枝は絶対折らないように」とクギを刺され、桜の木がない空き地を測量してギリギリの大きさの大型テントを注文しました。ところが、建設中にどういうわけか桜の枝が折れているではありませんか。業者は、故意に折ったのではなく作業中に折れてしまったと説明するので、私は「のこぎりで折れた枝を切り落とし、切り口には泥を塗ろう」と指示。

会場設営の責任者から「電源はどうしますか」と聞かれたので、「コンセントに差し込むんじゃダメなの」と返したら、「そのコンセントにどこから電気を引いてくるんですか」。仮設のテントですから、会場内の電気も音響照明のための電気も東京電力から電線がきていないので大型電源車を手配することに。これまでファッションショーはプレス席に座る側にいたど素人がプロデューサー、万事がこんな調子で施工責任者に教わりながらどうにか第1回東京コレクションは開催できました。

夜中の作業中あまりに冷たい風が床から入ってくるので慌てて300坪分のパンチカーペットを発注、また渋谷公演通りを上りきった角の公衆トイレでは足りないので仮設トイレも開幕直前に発注、さらには前述したショー音楽の騒音クレーム、観客超過で床が抜けるなど想定外のことが頻発しましたが、なんとか2週間の東コレは無事終了しました。

大型テントを撤収し敷地の補修をした直後、代々木体育館の課長から電話がありました。「桜の枝を切りましたね」、バレていました。「折れてしまったので私が切り落とせと命じました。すみません」と正直に話したら、後日事務所に来るよう言われました。罰金は覚悟、代表幹事と一緒に詫びるしかない、三宅さんに同行をお願いしました。当日段ボールに自社の靴下、ハンカチ、ネクタイなどをたくさん入れて三宅さんが現れ、一緒に頭を下げてくれたのです。

挨拶そこそこにまずお詫びをしました。すると、課長さんが「テントの邪魔になるなら桜の木を切りましょう」と発言。桜の枝を切ってはいけなかったはずが、「木を切りましょう」、これにはびっくり。課長は「(1964年の)東京オリンピック以降20年間スポーツイベントやコンサートに施設を貸してきましたが、責任者自ら大勢の作業員にご飯を作ってあげているのを初めて見ました」、と。ありがたいお言葉でした。

こうして競技者送迎バス専用駐車場の桜の木は全部撤去、第2回東コレまでに敷地は綺麗に舗装され、しかも私たちの大型テントの基礎を地下に埋め込んでくださったのです。すべて工事費は体育館側が負担、当方の出費はゼロ、過分なご褒美でした。

料理が趣味とは言え、こうなると作業員へのご飯提供を止めるわけにはいきません。コレクションの特設テントを建てるたびに毎日150人分の温かい食事、最終日のテント解体時は300人分のカレーライスを用意。ブロックを積んだ臨時の釜戸は社員食堂のような形になり、東急ハンズで購入していた炭はいつの間にかプロパンガスに、事務局には大きな鍋や調理道具が増えました。

この現場に三宅さんも毎シーズン顔を出し、作業員たちと一緒になって紙コップと紙皿で食事をしてくれました。そんなことはおそらく参加デザイナー、マスコミ関係者は知らないことです。舞台施工の作業員の間で一緒に現場メシを食べる三宅さん人気はうなぎのぼり、イッセイミヤケの会場施工には格別の思い入れが見て取れました。


​TIME誌の表紙にもなった三宅一生さん​

1986年3月パリコレ時、現地で会食した三宅さんから「今度はテントにちょっと手を加えさせてもらうそうです」。私は「テントが壊れないのであればいかようにでも」と返しました。どうやらショー演出の三宅デザイン事務所毛利臣男さんが施工業者に直接交渉していたようです。楽屋裏側のテント両サイドをゆっくりクレーン車で巻き上げる演出プラン、テントの稲垣興業と舞台美術のシミズ舞台工芸は私に確認する前に実現に向けて準備に取り掛かりました。

そしてショー前日夕方リハーサル、事件は起きました。桜の木を伐採して使いやすくしてくれた敷地はまだアスファルトが若干柔らかく、クレーン車の重量で地面にへこみが残る心配がありました。大型テント設置には10トンクレーン車ですが、テントを徐々に巻き上げるとなると風圧もあるのでクレーン車は20トン、ビル工事の様相です。テント両サイドにわざわざ取り付けたジッパーを外し、ゆっくりテント地を巻き上げるテストをしているところに三宅さんが現れました。

私のポケットの中には足りない施工費用の明細メモがあり、これを手渡ししようとした瞬間、「こんなことやっていいんですか」。代表幹事である自分のショーで特別なことをやってはいけないというご意見でした。クレーン車の横で「やってはいけない」三宅さん、「やりたいです」毛利さん、「やってもいいんじゃない」私、意見は分かれテスト作業は中断、会話が段々エスカレートして作業員や事務局スタッフが不安そう表情なので仮設事務局のプレハブに移動して3人で話し合いました。

代表幹事だけが好き勝手しているように映ることは賛成できない、三宅さんの気遣いは理解できます。毛利さんは演出家として断固やりたい、やらせてくれという気持ちもわかります。私はテントをぶっ壊さない限り大丈夫、面白い使い方をすれば別のブランドの刺激になるでしょうと続行を勧め、意見は平行線のままでした。結局1時間ほど話し合って決裂、毛利さんはドアを強くたたきつけてプレハブを出ていきました。


​毛利臣男さんも昨秋に逝去​

翌日の本番は毛利さんの意志通りに決行でした。楽屋と客席を分断している大きなサイドパネル2枚がシーンごとに徐々に開きます。モデルがランウェイから楽屋に戻るたび着ていた服を出入口から屋外に出し、最後に楽屋スペースは空っぽ。次の瞬間大きな無地の幕が床に落ちるとその奥にあるテントがゆっくり巻き上げられ、外部から照明が会場内に差し込みます。テントの外はまるで砂漠のように見える薄い大きな布が風にそよぎ、その場面でモデルが無地のドレスを身にまとって登場。偶然なのでしょうがテントの外にはお月様、なんとも幻想的なシーンに観客は大きな拍手でした。

これまで見た数千本のファッションショーの中で最もドラマティックな演出、感動的でした。演出台から楽屋に指示を出していた毛利さんの目には涙、あまりにうまくことが運んだので自分自身感動されたのではないでしょうか。

このショーの後、あのプレハブでの口論が原因なのかどうかはわかりませんが、毛利さんは三宅デザイン事務所から独立、二度とイッセイミヤケの演出をすることはありませんでした。​正直、もう一度毛利さん演出のイッセイミヤケショーを見たかったです。しかし残念ながら三宅さん逝去の2ヶ月後、そのあとを追うように毛利さんも亡くなりました。





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Last updated  2023.08.19 16:03:28
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