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カテゴリ:NPO法人フローレンス
フローレンスの仕事で、
理事もしてくださっている小坂こども元気!!クリニックの病児保育室に、 まる1日、研修に入らせてもらう。 で、いろいろ発見する。 業務に直接関わることはレポートするとして、 それ以外で、個人的に感じ入ったことについて。 ---------------------------------- ■個性の体感 一度に5人のこども(1歳~4歳)を相手に1日過ごしてみて、 人間て、生まれてから3歳くらいまでって、 強烈に分かりやすい【個性】を発揮するのだということを、実感した。 まったく言葉を話さなくても、個性を発揮するには充分で、 みごとなまでに多くの情報を発信しているし、 性格も体質も、体格も、ほんと半日で把握できるくらい分かりやすく違う。 個性っていうのは、こういうもののことを言うのかと、 腹の底から合点がいった気がする。 わたしも含めて、 なんで大きくなるとみんな同じみたいになっちゃうのか、 ほんと不思議。 まあ、多少の個性はあるけれども、今日接した子供たちほどには、 違いが発揮されていないのは確か。 それを「社会性」というには、違う気がする。 自分が産まれたてのころ、どんなだったのか。 会ってみたいとさえ思う。 みんな自分出していこうよ。笑 生まれてきたときはみんな、すっごく違ったんだよきっと。 その多様性を維持したまま、社会が構成されたら、 すっごいおもろい社会になるんじゃないかと楽しくなった。 ---------------------------------- ■言葉の制約 女子大生のころ、 子育てはきっとすごく難しいと思っていた。 言葉の通じない相手とのコミュニケーションだから。 でも今日、それはあんまり心配ないな・・・と思った。 むしろ言葉なんて使わない方が、 多くの情報をダイレクトに発信できるのかも、と思った。 言葉が便利なのは、 自分の伝えたいことを伝えようとしたときだけかも。 相手を分かろうとするときに、 あまり言葉は必要ないと分かった。 言葉は、 ずいぶんとエゴイスティックな道具だったんだ、、、 と思い知る。 * 個性と言葉は、確かに相反する。 本来個別に違うものを、 他の人が理解できるように伝えるために、 様々な個性が、適当な単語に集約されていくのだから。 そうすることによって、 失われるものは大きいはずだ。 表現しきれない、失われている何かは、 アナログな音をデジタル化すること、と似ているのかも。 音への執着はない方なので、 デジタル音に違和感を持ったことはなかったが、 表現しきれない何かを失うことは、 たしかに、とってももったいなく思える。 ただカラダをくねらせたり、 表情を駆使したり、 言葉にならない声を発してくれるだけでも、 かなり、ダイレクトにいろんなことを感じた。 こちらも、感じた通りにいろいろやってみたあと、 泣き止むときに見せる満足げな表情が忘れられない。 赤ちゃんては想像以上に饒舌だった。 * わたしたちは、言葉によって思考し、表現する。 そのツールを当たり前に使うようになってからは、 言葉で表現できることだけに制約されていたかもしれない。 実はもっともっと、 表現しきれずにいるものを、自分自身が感じている。 言葉の外にあるものの可能性に、感覚をひらきたい。 言葉の制約に無自覚になってはいけない。 もっと自由に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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