本宮町_story(3178)2013.8.30
今日はサラ文(サラリーマン文化芸術振興会)の新宿オフィスで会主催のパソコン教室があった。小生が講師役である。13年前までは物静かな企業の1従業員であったが、大学に移ってからがらりと性格が変わった。要するに非常に「お喋り」になってしまい、いまだに教師の口調のままである。
先日も、大峯奥駈道の途中にある百名山用の営業小屋であった家族と遊んだ時にパズルを出題する口調から「先生」であることがばれたくらいだ。
口角泡を飛ばす口調(もしここで、カミサンが登場すると、『あのぅ、主人の話、5分の一で聞いて下さい。』と話の骨を折るところである。)で、早口である。この性格を変えたいものだ。パソコンでは画像挿入を中心に勉強した。3時間があったいう間に過ぎた。
熊野古道・第2章 回想録(1日目その1)
熊野本宮大社 林間から朝日
神社境内は90mという高台にある。
ちょうど朝日が林間から射した
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を12泊13日で巡ってきました。
第1章として大峯奥駈道(吉野川柳の渡し→熊野本宮大社)6泊7日の旅、第2章として下記の伊勢路、川の熊野古道、外辺路、中辺路、大辺路といった大峯奥駈道以外の熊野古道を6泊6日で探索した。それを回想する。、
熊野参詣道:
紀伊路・・京都~紀伊田辺(海岸沿道)
中辺路・・紀伊田辺~熊野本宮大社さらに、熊野速玉大社~熊野那智大社(三山巡り 外辺路とも言う。一周してから、大峯奥駈道(順峰)を修行するのが修験僧のルートであった。)
小伊路 ・・高野山~熊野本宮大社
伊勢路・・伊勢大社~熊野本宮大社(海岸沿道と熊野市から内陸)
大辺路 ・・紀伊田辺~那智・補陀洛山寺(ほだらくさんじ)
第2章1日目(通算8日目)の行程
本宮町→バス→志古→瀞峡探勝ウォタージェット→田戸で途中下船→河原で休息→10:00→東野トンネル→有蔵トンネル→小松トンネル→小森トンネル→観光筏下り出発地→13:00→(11km)→おくとろ温泉「きたやま」→おくとろ公園キャンプ場
宮井大橋から「おくとろ公園キャンプ場」までの23kmは、途中3kmもある瀞峡トンネルを経由せねばならない。昨日観光案内で聞くと、志古までバスで下れば、瀞峡探勝ウォタージェットが出ているという。ならばこれに乗って田戸まで行けば残り11kmだけを歩けばよい。
楽勝である。本宮大社前からは新宮方面行きバスの3本目となる7時26分発のバスで志古に向かうことにした。
それまでゆっくり熊野本宮大社を見学。
本宮の階段
「熊野大権現」という幟はすべて個人や法人の寄進である。
幸せを願って何千本という旗が参道の両側を埋め尽くしている。
写真:熊野本宮大社
熊野本宮大社(第1靡)は家津美御子(けつみこ)神」(阿弥陀如来)を祀る。
熊野速玉大社(第3靡)は速玉大神(薬師如来)
熊野那智大社(第2靡)は夫須美(ふすみ)神(千手観音)を夫々祀り、熊野三山となった。三所権現(阿弥陀如来、薬師如来、千手観音)でもある。1090年に、本山派となる熊野修験集団が生まれた。修験者は大峯に深く分け入り各地の行所を巡り歩く抖摟(とそう)修業が盛んとなり吉野山に通じた。
さて、熊野本宮大社は現在檜の屋根を葺きかえる作業を行っており今年の12月に完成予定である。
左から「相殿」、「第一殿」(熊野牟須美神を祀る)同居する「第二殿」には速玉之男神、「第三殿」(本殿証誠殿)には家津美御子(けつみこ)大神、「第四殿」には天照皇大神が祀られている。
4社へは左から順に2礼、2拍手、1礼でお参りをする。
境内では撮影禁止。デジカメもついにバッテリーが切れてしまった。スマホですこし。
Picture1(sketch-direction 92°am6:42 Sketch point:Kumanohongutaisya,Hongu-town,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.840303,135.773967(°)(33°50'25.09" N,135°46'26.28" E)標高86m
Picture2(sketch-direction 0°am7:03 Sketch point:Kumanohongutaisya,Hongu-town,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.894247,135.802536(°)(33°53'39.29" N,135°48'9.13" E)標高817m
Google Earthを楽しむ方法
Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex.
35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。