|
カテゴリ:カテゴリ未分類
武田頼政著『Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀』(文藝春秋)を読みました。
長嶋ジャイアンツの1994年の「メイクミラクル」も96年の「メイクドラマ」も、ある一人の黒幕による巨人内部の諜報チームの情報収集と指導があったから実現したことが書かれていて、びっくりします。 その情報は94年から97年までの4年間にわたってほぼ毎日のように長島宅にファックスで送られました。5000ページのにものぼるレポートに書かれています。それが「Gファイル」です。 野球を見る眼というかスポーツを見る眼がすっかり変わってしまいます。 この河田弘道という人は、選手としての実績はまったくなく、また巨人軍とも縁がなかった人です。 日本テレビの世界陸上に関連した仕事で知り合った長嶋が12年ぶりに巨人の監督に復帰するに当たって、河田にぜひスタッフに入って欲しいと望んだのです。 そして引き受け、長嶋監督を徹底的に支え、一種の個人秘書として、情報集めとその分析、さらには具体的な戦略の立案を行い、毎日のように長嶋に報告し続けました。 まず、大きな仕事は、PNFと呼ばれる理学療法の分野から発達してきたメンタルケアやストレッチングによる肉体のケアを通して、怪我の多い巨人軍の選手たちの体調管理、機能向上に役立てようとしたことです。松井秀喜もPNFの恩恵を受けた1人で、シーズン入りは無理だと思われていた故障が、PNFによって完治し、シーズンに間に合い、年間を通じて大活躍しました。 河田弘道氏の立場は、あくまで裏方でした。球場には入ってもグラウンドには降りず、ロッカーに立ち入り選手たちと関わることもしません。ただひたすらにスタンドから試合を見ては、選手のコンディションを観察して長嶋に報告する。球団内部に作った情報網から、選手やコーチたちの言動を集めて今、コーチたちの間にどんな感情が渦巻いているかを分析し、どんなアドバイスが必要なのかを長嶋に提言してみせました。 まったくみごとです。 それでも、河田は、親会社の読売新聞が繰り広げる一種の権力闘争によって、97年のシーズン終了とともに巨人軍を去ります。これだけの功績があってもたったの4年です。 河田を追い出した巨人は、原辰徳監督の初年度に少しだけ勢いを取り戻すものの、故障者の続出があり、メンタル面の低下もあって、以後は低迷の泥沼にはまっていっています。 こういう人物が退任させられるというのも驚き。神聖化されている長嶋像、あるいは、読売ジャイアンツという会社の権力闘争を暴く、こういう本が出版されたことも驚きです。 引きつけられて一気に読みました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|