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カテゴリ:色彩と人間
「音」と「色」の間には、実はもともと人類が持っている共通の感覚があるらしい。
即ち、音には色彩があり、その音を聞けば常に同じ色が浮ぶという感覚のことを「色聴」という。 さらに正確には、 音刺激によって色覚が伴うことを「色聴(colored hearing)」と言い、 そして、この能力を持つ人たちのことを、心理学者は「色聴所有者」と呼ぶ。 一般の人たちにも、わずかにこの傾向はみられるとのこと。 私たちは、感覚の一受容系で受け止めた刺激をその感覚で反応するほかに、その感覚以外の系統の感覚も反応させる。これを共感覚といい、色聴もこの一種である。 色聴は、音刺激で色覚が伴う共感覚(一つの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる) の一種で、結構特別の能力ということになるみたいである。 いわば、絶対音感の色彩版的なものでしょうか。 さて、ドレミの音階を共感覚で感じると、 C・・・「ド」: 赤 D♭・・・「レ♭」: 紫/薄紫色 D・・・「レ」: 菫色/すみれ色 E♭・・・「ミ♭」: 淡い青 E・・・「ミ」: 黄金色 F・・・「ファ」: ピンク F#/G♭・・・「ファ#/ソ♭」: (濃い)緑青 G・・・「ソ」: 空色、明るい青 A・・・「ラ」: 冷たい黄色 B♭/B・・・「シ♭」: 橙 B/H・・・「シ」: (鮮明な)銅色 なぜかA♭=G#の色が見当たらない・・・・? 1オクダーブ離れたドも赤とのことである。 たとえば、赤色のドの音と、緑青のファ#の両音を一緒に響かせると、色彩の融合がおこり、 補色のため灰色の色聴が現れ、混色の法則どおりとなるようである。 高い音調は明るく明色に(ある色に白が加わってできる色、赤の明色はピンクなど)なり、 低い音調は暗色(ある色に黒が加わってできる色、赤の暗色は焦げ茶)に傾斜する。 フォルティシモ(最強音)になると、その色たちは接近し、強烈で重くなり、 ピアニッシモ(最弱音)になると、色はかすんで、灰色がかって遠のいていくそうだ。 また、フラット(♭)のついた曲は、暖色系を、 シャープ(#)のついた曲は、寒色系を連想させる。 クリストファ・ワードという人によると、 真珠色の最も弱いささやきから青色の弱い音色を経て、 すみれ色のオーボエの音色、 涼しい澄み渡った緑の森の風、 黄色の柔らかい笛の音、茶色のコントラバス、橙色に鳴り響く金管楽器、 色はすべて音であるとのことである。 色彩と音楽は強い感情で結びつく。 W・R・ワグナーは色彩と音楽に触れ、 V・カンディンスキーは色彩のリズムとハーモニーとを音楽的に計量し、画面に動きの効果を追求したそうだ。 C・モネは、日の出の作品に「印象」と表題を付した。 この「印象」から印象主義が生まれたという。 とある研究では、緩慢な音楽は赤を連想させ、高音は明るい音、低音は濃い色で、色相と模様までも連想させるのだという。 このような色聴は子供たちがひとしく共有し、原始人では広く存在していたらしい。。。 ウォルトディズニーの作品「ファンタジア」は、音楽映画として色彩と音楽を融合させた最高傑作であった。 この作品の中では、L.V.ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」の全曲が色彩に翻訳されて見事に描かれている。 --参考文献・・・色の不思議が面白いほどわかる本(河出書房)/色の秘密(文春文庫)、などを参考にしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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